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Relight Committee 第5回:社会におけるアートの常識と倫理

7月からはじまったRelight Committee(以下、RC)もちょうど折り返し地点。今回は、Relight Committee2016メンバー(以下、RC16)が「生と死」をテーマに、この1ヶ月間考えてきた企画案のプレゼンや、昨今話題となっている生命に関するアート界隈のニュースを踏まえたディベートを行った。

ランチでは、アーツカウンシル東京プロジェクトディレクターの森司さんをゲストに迎え、森さんの現在の活動やアートプロジェクトに対する思いを伺うことができた。そんなスペシャルな1日を、レポートする。

スタートは「健全」な朝のラジオ体操

11月12日、前日の雨とはうって変わって青空が気持ちの良い朝の9時。いつもの「アーツ千代田3331」に聞き慣れた軽快な音楽が流れる。前回から行っている「ラジオ体操」で心も体も一気に温まり、久しぶりの緊張感もほぐれていく。これから寒くなっていく講座日の朝に必須のプログラムとなりそうだ。

まずは、恒例となっているRCの「Instagram」にこの1ヶ月で投稿された写真の共有から。今回紹介された動画がこちら。福島県飯館村を走る列車の車窓から撮影された動画だ。流れる景色に次々と現れるビニールで覆われたものは、汚染土を固めたものだそう。青空にススキ、家屋や車が映る中に異様な存在感を放つ。

瀬戸内国際芸術祭やあいちトリエンナーレが閉幕を迎える中、会期中のさいたまトリエンナーレ、茨城県北芸術祭、TERATOTERA祭り2016などのアートプロジェクトの写真も。近年の日本における地域アートプロジェクトの多さを改めて実感した。

『Relight Days』企画プレゼン

RCは、2017年3月11日〜13日の3日間で『Relight Days』を実施する。企画は各々の視点で「生と死」をテーマに立案。今日は、RC16それぞれの企画案が発表された。持ち時間は、質問やフィードバックも含め30分程度。「こんなことを考えているがどうしたらいいか」などの問いやアイデアベースのものでも構わない。

捨てられない物について「物の生と死」という視点で企画を立てたメンバーに対して、違う人の「消費」を体験する山出淳也さんの作品を参照してはどうか、とアドバイスがされた。この作品は、ある人物のレシートを集め、それと同じ物を購入して生活するというもの。「他人の消費行動を追体験することで価値観が変化するかもという、思考のプロセスを作品化している面白い例。なにか発見があるかもしれない」と意見が交わされた。

RCでは、関連がありそうなアーティストやプロジェクトの紹介、現在見ることのできる展覧会などの話題が頻出する。自分が知らなかったアーティストもあるが、どれも「アートと社会」という視点を持ちながら作品を発表しているものばかりだ。

ロンドンオリンピックの文化プログラム「Peace Camp」(2012)を例に、火を囲みながら生と死を語り合うための「対話の装置」を作りたいと話すメンバーも。プレゼン資料がプロジェクタに映らないトラブルのため、iPadの小さな画面を十数人が机に乗り出して資料を覗き込みながら話を聞いていたのだが、その様子を見て別のメンバーから「こういう『ぎゅっ』と人が集まるような状況をこの企画で作りたいんじゃないかな」と、鋭い意見も出てきた。

続いて、2つの案を企画したメンバーのプレゼン。1つ目は、アートが与える命の危機についてトークセッションをしたいという案だ。これはTOKYO DESIGN WEEK(TDW)における火災事故をきっかけに、誰もがアートプロジェクトに関わる中で「命の危機」を自分事と捉えて考えてほしい、という思いが込められていた。

2つ目は、一人暮らしをしている90歳の祖母と「生と死」について話すことが多いのをヒントに、その祖母との会話をなにか作品としてできないかという案だ。この考えに対して、「『先人の知恵』を世の中に対するリスクマネジメントとして捉えた時に、どんなアウトプットがあるか、もしかしたら2つの企画を組み合わせたら面白いのではないか」とアドバイスがなされた。掛け合わせることでさらに彼の独自性が表現された企画となりそうで、とても楽しみだ。

宮城県出身で音楽活動をしているメンバーは、震災の記憶と向き合う中で辿り着いたキーワード「memento mori(死を見つめて今を生きる)」から、「今」「愛」「死」の3つの言葉から連想した曲を演奏するミニコンサートを開催したいという案が出た。

自身もアーティストとして活動しているメンバーからは、「Relight Projectが立ち上がるきっかけになった宮島達男氏の『Counter Void』ときちんと向き合って作品を作りたい」という強い意志のもとに、いくつかの案が話された。これに対し「アーティストとして表現をすることは思考の種を蒔くと言えるのかもしれません。RCではもう少し踏み込んで、作品に参加をする人の体験も具体的にイメージして欲しい。種を蒔くだけではなく、作品をきっかけにどのような花が咲くのかを想像しよう」とアドバイスがあった。

他にも、自身の仕事で扱っている「遺言」から、遺言書にある備考欄を「未来へのラブレター」と捉え、想いを伝えることができたら面白いのではという案や、やりたいことを諦める思考や欲望を「死」と捉え、「思考・欲望の生と死」をテーマにしたいという案を発表したメンバーなど、さまざまな案が飛び交った。

各々が発表した企画は、それぞれの個人の背景や価値観が現れた魅力的なものばかりだった。「発想の起点は個人から」という今回の企画趣旨が影響しているのだろう。

「一人ひとりの個性が出ていて、とても楽しみになってきました。これからは場所や当日のタイムラインなど具体的なことを詰めていきますが、企画は継続的に考えていってください」とinVisible菊池さんの言葉とともにプレゼンタイムが終了した。

「アーティストが人生の選択肢として、普通に存在する社会に」森司さんを迎えて

次に、ランチの時間ではゲストにアーツカウンシル東京プロジェクトディレクター森司さんを迎え、「社会彫刻家」としてのご自身の背景や現在の活動、アートやアートプロジェクトに対する思いなどを伺った。

簡単に森さんの紹介から。水戸芸術館現代美術センター主任学芸員を20年間勤め、現在はアーツカウンシル東京で様々なプロジェクトの枠組みを作っている。関わった主なプロジェクトは「東京アートポイント計画」「TARL(Tokyo Art Research Lab)」「TURN」など。Relight Projectも「東京アートポイント計画」の一環として実施しており、発足のきっかけとなった方。昨年度のRCにも度々参加いただき、RC15のメンバーにとっては久々の再会でもあった。

まず、森さんのアートへの思いから。アーティストに対する一般的なイメージが「食べていけない」「何をやっているかわからない」「存在は知っているが周りにいないから実態がわからない」など、全体的に「よくわからないもの」だと捉えられている。そのため、アーティストになりたい人は一度は「止めておいたら」と周囲から言われる経験があるのではないか、と森さんは指摘する。

そうした周囲の意見や考えに対し、アートが本質的に持っている「不安定さ」や、肌感覚で感じる「アーティストのわからなさ」があるということを踏まえた上で、「アーティストを人生の選択肢として普通に存在することができる土壌を社会につくりたい」と森さんは考えているとのこと。淡々と語られる口調とは裏腹の熱い思いに、一気に引き込まれた。

「なぜキュレーターから今の立場に転身することになったのか?」という質問に対しては、水戸芸術館のキュレーターとして現代アートの企画をしていた中で、日常という概念が美術館に入ることの難しさや、アートの表現が形のないものに変化してきているなかで美術館の中だけでは作品の全てを表現できない、と考えたのがきっかけだったそう。

また、弁護士・医者などに見られるような、教育がその人の言語を作るシステムに魅力を感じていたという。アートも好き勝手やっているように見えて、実はやりたいことを実現するために必要な認識や言語、概念が存在している。それらの概念をきちんと学習できる環境を作り、アートの魅力を伝えていきたいという思いが現在のTARLなどにつながっているという。

他にも、アートを語るためには同時代や少し前の時代の活動を基準にしながら「アートってなんだろう?」といったことを自分の中につくることや、前後の時代のアートシーンの知識が必要だと指摘する。「アートに関する『わからない』はずっと『わからない』ままだが、基礎が重要。先がどうなるか『わからない』のは当たり前だが、怖いのは基礎がないことで自分が何を扱っているのかがわからなくなること。基礎が理解できて使いこなせればいいが、思っている以上に基礎は教えるのが難しい。そこに対するRCの試みは良いデザインがされていて、とても期待している」といった話がなされた。

RCは、日頃からさまざまなアートと社会についての講義や対話を行うなかで、その度に「わからない」思いを常に抱えながら考え続けている。その「わからない」がどこから来ているのか、どういったことなのかを向き合うことが「社会彫刻家」として必要な姿勢であると考えている。同時に、社会とつながるためには「アートだから」と煙に巻かず、伝えるための言語や手段、それらを裏付けするための「アートの基礎」を身につけることが大切だと感じた時間だった。

対話&ディベート「アートという名の常識と倫理」

後半は、アーティストやアート活動の事例を交えての座学ではなく、「アートという名の常識と倫理」をテーマに、RCメンバーのSNS上の議論をもとにした対話とディベートが行われた。

前回の講座から1ヶ月の間に、TDWの火災事故やあいちトリエンナーレ2016のラウラ・リマ《フーガ(Flight)》における鳥の扱い、多摩美術大学の学園祭での葬式パフォーマンスなど、アートが取り巻くさまざまな出来事が起きた。

まず、TDWの火災事故の直後、RC16田島さんのSNS上の投稿がきっかけとなってさまざまな議論が行われた。投稿の内容や、どのような思いで投稿をするに至ったのか、またSNS上の議論の中で集まってきた意見やそれを踏まえて考えたことなどを紹介してくれた。

「当事者の適切な知識に基づく対策が実施する上で必要だ、という自覚がないことはもちろん、素人が作ったものに子供を遊ばせるリスクを参加者が自覚していたか、またその危険性を明示する必要があったのではないか」「作品で遊べないことでデザインやアートでなくなる訳ではないし、遊具として開放するのであれば安全基準は公共の遊具と同等にすべき、そうでないものは展示だけで止めておくべきではないか」などの議論が交わされた。この議論を踏まえて、田島さんからはロンドンの美術大学で展示の際に使われるリスクアセスメントシートが紹介された。

シートには、以下の内容を記載する欄がある。
・どのような危険や健康被害があるか
・その危険などに対してどのような対策を取っているか
・それはどれくらいの危険性があり、どのくらい起こりえるものなのか
これらの内容を学生自身がシートに記入し、担当教員と設備管理者に共有する。そこから、必要であれば実際に作品のテストを行ってから展示の許可が行われる仕組みだという。

「SNS上での意見を見ていると、当事者たちへのバッシングなどが多く自分事として捉えている人が少ないと感じた。アートプロジェクトに関わるものとして、現実的にこれらの問題を捉え、対策をしていきたい。このままだと、なにかしらの規制が設けられてアートプロジェクトが死んでしまう危機感を持った」と、田島さんは話す。

このような問題に対して現実的にどう行動をしていくのか、各々が自分事として意識し考えるために、RCではディベートを行うこととなった。

「芸術に規制は必要か、不要か」

メンバーを二グルーブに分けたディベートのテーマは、「芸術(アート・表現活動)に規制は必要か、不要か」。RC16と15、森さんとアーツカウンシル東京の中田さんも交えてグループは構成された。審判役は事務局メンバーとRC15の計4名、そしてInVisible菊池さん林さんの司会のもとでディベートはスタートした。

賛成・反対のグループ決めは、自身の考えに関係なくランダムに割り当てられた。あくまで、ディベートを通じてテーマについて深掘りして考えるという意図があるからだ。

私は「規制は不要」のグループに参加。なぜ規制が不要なのか、メンバーと決めたオープニングステートメントは「そもそもアート活動は自発的な表現の権利である。規制はアートに組み込まれるべきものではなく、外にあるべきであり、アートそのものへの規制は不要である」といった内容となった。

対して「規制は必要」のチームのオープニングステートメントは「アート活動は社会活動の一環。異なる他者と社会を築く上で、他人の尊厳を侵さない制約の中でアート活動は行われるべきであり、規制は必要である」といった内容。これらのステートメントをもとに、ディベートは展開された。

アートを社会活動とした場合に「アール・ブリュット」はアートではないのか、などの意見や、「尊厳を侵すようなアート活動とは」という問いに対してヘイトスピーチなどを例に挙げ、そもそもヘイトスピーチはアートなのかといった議論も交わされた。私も含め、ディベート自体に慣れていないメンバーもいたために議論が停滞する場面もあり、途中で司会から「論点を変える」という技も教わった。

短い時間ながら、いくつかのトピックが議論されたディベート。審査員の結果は2対2で辛くも同点となったが、「規制は必要」チームは最初から最後までステートメントの立論にブレがなく、敵ながら感心しきりであった。

初めてのRCで行われたディベート、私はほとんど発言できなかった。だが、このテーマでディベートを行ったことで、座学による受け身の学びよりも「自分だったらどうするか」といった自身の内面を探ることができ、テーマに対する考えが深まったように思う。

「正しいか」「正しくないか」ではなく、結論から筋道を論理立てていくことで物事を俯瞰することができた。そこから、自分自身の言葉でどう伝えるかについても改めて考える機会となった。こうしたアートに関する対話やディベートを重ねることで、アートの「わからない」を「わからない」なりに少しずつ言葉にできるかもしれないと感じた。

リアルタイムに起きている世の中の出来事をテーマに扱いながら、より身近にアートと社会のあり方を問うことができた今回。「誰でも、みなアーティストになれる」と掲げ「社会彫刻家」の育成を目指すRCにおいて、アーティストの印象が「なにをやっているかわからない」では、社会と積極的につながることは困難であるし、アーティストは依然として遠い存在のままだろう。

アートが持っている不安定さやダークな面、わからなさが本質的に変わらないとしても、アーティストの「わからなさ」を少しでも健全な、親しみやすく「わかりやすい」形にして伝えることで、社会とより関われることができるのではないだろうか。

次回はクリスマスイブ。RC16たちの企画のアップデートや進捗の報告を行ったあとは、家族・友人たちとホリデーバーティーを行う予定だ。まずは身近な人々にアートを感じてもらえる時間となるだろう。

レポート執筆:井上愉可里(Relight Committee2015)
写真:丸尾隆一