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Relight Committee第8回:一歩離れることで見えてきた気づき

集団のアクションから個々のアクションへ


残すところあと2回となった今年度のリライトコミッティ。今回は、3月11日から3日間だけ開催されるリライトデイズに向け、全体で実施するアクションプランと個々のアクションプランの擦り合わせを行なった。

リライトコミッティ2016のメンバー(以下、2016メンバー)の発表を聞きながら、リライトコミッティ2015メンバー(以下、2015メンバー)である私が、昨年の活動を通しての経験を踏まえながら今回感じた気づきを交えつつ話しを進めていこうと思う。(編集注:今回のレポートは、3月11日からのリライトデイズ前に書かれたものです)

2016メンバーが取り組んでいる各アクションついては、最新の情報がウェブサイトに更新されている。こちらをご覧ください

5年ぶりの点灯と1年ぶりの点灯

1年前を思い出してみると、昨年のリライトコミッティは5年ぶりとなる『Counter Void』の再点灯に向けて、記者会見やリライトセッション、点灯式の準備を縦方向として、リライトデイズで実施する各企画の落とし込みを横方向とする、まるで織物を織るような活動であった。

一方、今年のメンバーは全体として象徴的なイベントは行わず、2015のような昼企画や夜企画といったチーム分けもせず、各々が「社会彫刻家」として自身の企画を実施している。

昨年のリライトデイズのような規模のイベントが開催されないことに対して、外部の人は残念がるかもしれない。しかし、昨年の当事者だった私は2016メンバーのこの行動を喜ばしいことと捉えた。

というのも、2015メンバーは5年ぶりとなる『Counter Void』の再点灯を基準に行動していた。つまり、生と死を考える3月11日からの3日間がゴールだった。それに対し、今年のリライトコミッティは「社会彫刻家」の輩出がテーマである。2016メンバーにとって3月11日からの3日間はゴールではなく、あくまで通過点なのだ。事実、リライトデイズ終了後も継続する企画を考えているメンバーや、リライトデイズの開始前あるいは終了後に企画を実施するメンバーもいる。

それらの成果発表について、リライトコミッティの最終日である3月18日に行われる。演劇に例えると、2016メンバーにとって成果発表が本公演だとすると、リライトデイズはワーク・イン・プログレスのような位置づけと言えるだろう(2つの期間が短すぎるのは置いておく)。

このように書くと、今年は昨年に比べてバラバラでまとまりがないように聞こえてしまうかもしれない。しかし、むしろ2016メンバーの一体感は2015メンバー以上にあると私は感じている。

そう感じる理由として2つ挙げられる。1つは昨年に比べて人数が少ない点。人数が少ない理由は、プロジェクトのテーマが異なるためである。昨年はリライトデイズの企画・運営を題材に「ポスト3.11」の社会を考え、アクションを起こすことがテーマだったのに対し、今年は社会彫刻家の輩出をテーマとした少人数制の市民大学を目指していたためである。

もう1つは、2016メンバーが公募の時点で「社会彫刻家」を意識していた点だ。『Counter Void』の「再点灯」よりも、「社会彫刻」という言葉に魅力を感じてリライトコミッティの門を叩いた2016メンバーにとって、リライトデイズは昨年の位置づけとそもそも違っていたのだ。

視野を広げ自分ごととして企画を考え行動する「社会彫刻家」の意識を持つ2016メンバーにとって、2015メンバーと同じことをするのではなく、自分たちだからこそ出来る挑戦に舵を取り出したのだ。

新たな価値をつくり続け、行動する人とは? 社会彫刻家を彫刻する


さて、昨年は3月11日の18時に5年ぶりに点灯された『Counter Void』だが、今年は3月11日の14時46分に点灯される。再点灯にあたっては、昨年は5年ぶりの点灯だったこともあり、『Counter Void』前にメンバーと宮島達男さんが並び、2015メンバーによる進行のもと厳かな点灯式が行われた。

点灯式にはメディア関係者も含め300人以上の方々が集まり、このプロジェクトの関心の高さと自分たちが行なっていることの影響力の大きさを改めて実感した。あの点灯式は、今となっては夢のような出来事だった。

しかし、今年は点灯式のような式典は行わず、14時46分になったら作品が点灯される。式典のかわりに、けやき坂を挟んだ『Counter Void』の向かい側にのインフォメーションセンターを設置し、3日間メンバーが持ち回りで常駐し、作品の説明やワークショップなどを行う。2015メンバーとして、昨年の経験を活かして2016メンバーを自然に引っ張っていきたいと考えている。

リライトデイズで行なう具体的なアクションとして、今年も参加者が3.11に対する各々の想い・考えを書き込み、ウェブ上で共有するワークショップ「3.11が■ている」を行なう。2016メンバーらの個々の企画に併せて、ワークショップやパフォーマンスなども行われる。

また、2016メンバーから企画された「社会彫刻家を探せ」も実行される。これは、リライトデイズ期間中の3日間にメンバー(2016+2015)が老若男女問わず「この人は社会彫刻家だ」と考えた人を撮影させてもらい、SNS上に記録することでリライトコミッティがさまざまな角度から社会彫刻家の輪郭を浮かびあがらせていく企画だ。

浮き彫りにするだけでなく、記録を蓄積することで選ばれた方々とリライトコミッティの関係性を可視化することにも期待している。声をかけられた人は「社会彫刻」という概念を知り、それまでと違う視点で自らを見直し、より豊かな毎日を送るキッカケになればと考えている。

今年のリライトデイズは、昨年と比較すると『Counter Void』自体から少し離れたが、その分社会に対する関わり方は深くなったのではないだろうか。

Relight Committee 2016のアクションを通し、改めて気づいたこと


さて、発表された2016メンバーそれぞれの企画は個が際立つものばかりだった。自分が行ないたいことを徹底的に突き進めて行った結果、周囲を巻き込んでプラスのスパイラルを作り上げている空気をひしひしと感じた。

メンバーの中には、自分の言葉で伝えようと試みるも気持ちが空回りしてしまい手応えをまだ掴んでいない人もいる。もちろんこのリライトコミッティは職場ではないので、先に掴んだからといってそれが優れているわけではない。かといって、何も掴まないまま活動を終了してしまうのももったいない。

もしかするとそれを掴むのは1週間後かもしれないし1年後かもしれない。メンバーはもちろん、事務局を交えて自分ごとの企画となるようさまざまな意見が飛び交った。

家族であっても職場の人に対しても、他者に対して意見を言うのは自分自身にも痛みが生じるため本当は言いたくない。しかしリライトコミッティでは他者の企画や考えを自分ごとのように捉え、終了時間を過ぎても改善策を残って考える場が今のリライトコミッティなのだと改めて実感した。


リライトコミッティとは何かを表現するならば、それは「実験的な挑戦ができる」ことだ。ここでいう実験的な挑戦とは具体的なプログラムを指すこともできるが、私が考えているスケールはもっと大きな括りである。

具体的には「多様性を受け入れる」挑戦である。この挑戦には労力と時間を要する。特にアートプロジェクトにおいては、現場になればなるほど相手の肩書きというフィルターを介すことなく素の人間として相手を捉え、ともに活動するために互いに本音で議論する。もちろん、ときに衝突が生まれることもある。

「多様性を受け入れる」といえば聞こえは良いが、実際は自分と異なった考えや立場の相手を許容するためには、先ず自分自身を見つめる必要があり、自分自身を変えていく必要がある。相手を受け入れるためには、相手を知り自分を省みて対話を重ねる必要がある。

それらを乗り越えお互いが許容し合うことができれば、チーム内に今まで以上に強固な信頼関係が生まれてくる。その信頼関係がプロジェクト遂行の原動力になる。このような出来事を、私はリライトコミッティの活動を通し何度も目撃した。

例えば、昨年のリライトデイズに向けて同じ夜企画メンバーが打ち出した「Count」を、私は当初理解できなかった。その理解不能な企画が自分自身の考えを整理する機会となり、メンバーと本音で話し合っているうちに、気づくと企画の手伝いをしている自分がいたのだ。結果として、私にとって昨年のリライトデイズで1番印象に残る企画となった。

今年度のリライトコミッティの定例会も、次回が最後だ。その間にリライトデイズがやって来る。

今年1年ぶりに点灯する『Counter Void』の姿を観て、昨年点灯した作品の前で感じたことと今年感じることは、間違いなく違うはずだと予想している。それだけ、この1年間充実した日々を送ることが出来た。

昨年とは違う気づきにいくつ出会えるか。今から3.11の点灯が楽しみである。

レポート執筆:山上祐介(Relight Committee2015)
写真:丸尾隆一