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Relight Committee 2017 第9回授業レポート

開催日:2018年3月17日(土)10:00~16:00
会場:アーツ千代田3331 アーツカウンシル東京ROOM302
撮影:丸尾隆一

授業内容

Relight Committee 2017 第9回、今年度最終回となったこの日は、公開講座として開講しました。午前中はメンバー自らの発案により第8回までの授業を振り返る座談会を行い、午後はそれぞれのActionの発表の場としました。

午前中の振り返りは、第1回の授業で行った「他己紹介」をもう一度行うことからスタートしました。Relight Committee 2017 初回の7月、お互い初対面の状態で挑んだ他己紹介と、8ヶ月の活動を経て、お互いの行動とこれまでの研鑽を知ったもの同士の他己紹介は、内容の深化もさながら、お互いのことを信頼した受講生同士の態度にも大きな変化が見られました。

初回時の他己紹介で話されたのは、お互いの仕事や専門分野、休日の趣味といった表面的な情報でした。また、初回の他己紹介動画を見るとそれぞれの表情も硬く、相手の他己紹介がどんなものか不安な気持ちを醸し出していました。


しかし、最終回での他己紹介は、授業のなかでの発言やフィードバックに現れた個性の紹介に加え、お互いがActionを経て気づいた相手の「強み」にも言及することで、紹介される側の「人間性」を如実に明らかにしたものでした。

Relight Committeeは、「学びの場」以上に「学び合い」の場です。活動のなかで相手からどんなことを学んだのか。お互いの成長を確認できる他己紹介となりました。

他己紹介のあとは、これまでの授業の振り返りに。授業の写真をスライドで見ながらその授業によって何を学んだのかを話し合います。教室の床にマットを敷き、メンバーたちはそこに直接座って輪になって話し合いました。このフォーメーションは、「お互いにフラットである」という関係性を表わそうとするメンバー自らの発案でした。

「Relight Committeeとは?」という質問の元、それぞれがこれまでの講座に抱いた印象や、これまでの授業を経た自身の変化を紹介する場面では、それぞれの心境の変化も明らかになりました。

いつも静かな面持ちでいながらも、ときに強く印象に残り心に響く発言をする荒川真由子は、「受講前よりもおしゃべりになった。授業でのディスカッションのなかで会話の相互作用を知り、いままで消極的だった他者とのコミュニケーションの楽しさを知った」と話しました。また「小さくともActionを起こすことが他者とつながりを生み、コミュニケーションの相互作用がうまれる」との気づきを共有しました。

今回「エキスパンダー☆ユミ」という鮮烈なキャラクターを生み出すActionをおこなった坂田由美は、「いつも『他者のため』になる仕事をしている分、自分自身が抱えるモヤモヤした思いを外に出せないでいたが、そのモヤモヤを乗り越える手段を得た」と語ります。当初、都市や地域にコミットしたActionを起こしたいという思いでRelight Committeeに受講を決めた彼女は、今後はエキスパンダー☆ユミ以外にも新しいActionを起こしていきたいという気持ちを表明しました。

午後はそれぞれのActionの実行で得たもの、気づいたことを発表し、会場からフィードバックを受ける時間に。10人それぞれ、自分のActionの内容や、これから起こすActionの実行プランを紹介しました。

Relight Days中の3月12日にActionをおこなった江口恭代は、プレゼンのなかでAction実行の際の映像を上映。昼間静かに明滅する『Counter Void』の前に立ち、厳かな雰囲気の中、子供たちの細い声と江口の声が重なって歌われた「花は咲く」の映像は、会場の参加者も胸を打たれ、涙する人も見られました。あらためて、彼女のActionのもつ「社会彫刻」の実現を感じる瞬間でした。

Action発表のトリを務めたのはエキスパンダー☆ユミ。まるでヒーローのように奥の部屋から現れた彼女は、振付師であるメンバー松村律子の振り付けによって、自身で作詞作曲したテーマソングを「悪党キャンサー」というバックダンサーを従えてパフォーマンスしました。

 

バックダンサーたちは、この日のために振り付けを自己練習してきたほかのメンバーたち。当日数回合わせただけでしたが、パフォーマンスは大成功に終わりました。このパフォーマンスからは、Relight Committeeが個人の成長を促すだけでなく、他者とつながり協働することの重要性と、その機会を与えられる場となったことを感じました。

あらためて、Relight Committeeという場の可能性、「社会彫刻家」を生み出すこと、そのために取り組むことが社会にとってどれだけ必要であるのかを実感する最終回でした。

授業レポート最終回の今回は、Relight Committee 2017 メンバー自身の振り返りを掲載します。
「Relight Committe 2017を終えて」
「自身のActionを振り返って考えたこと・感じたこと」
「改めて、私が思う社会彫刻家とは」
という3つのテーマでメンバーそれぞれが執筆しました。


荒生真美Relight Committee 2017を終えて

6月、私は渦巻いた思いを抱えながらRelight Committeeの説明会に向かった。直観でこのプロジェクトに参加したいと思ったが、考えれば参加したい理由は沢山あった。しかしながら、休日に母親が家を空けるというのは家族の賛同がないと難しい。今はそれを認めてくれた家族に感謝したい。

この半年間は、人との出会いと学びに溢れていた。何よりも「母親業」というせわしなく更新される日々の中で、固定されかねない思考を柔らかくしたいという狙いには、ぴったりの活動であった。

授業では居心地の良さと悪さ、日常と非日常を行ったり来たりしながら自分と対峙し仲間と共有した。その振り子のような揺さぶられ方は、体の芯の部分にとても熱いものを宿したのだと思う。だからなのか、Relight Committeeの最終授業を終えても「終了」という言葉が見えてこないのだ。明確な場があるわけではないけれど、ゆっくりとゆったりと、でも着実に社会とアートの領域でこの先もRelight Committeeはちらちらと光るのではないだろうか。

自身のActionを振り返って

「自分のことを忘れていたことを忘れていた」という私のActionは、日々追われて過ごすうちに、自分自身を振り返る時間を忘れていたことをアートの刺激によって気づき、日常に潤いを得た自己体験から着想を得たものである。これまで、挫けそうな出来事もアートによって心を支えられてきたが、そのことを言語化することで確実に自己認識でき、形にしたことは意義深かった。

体験と同じように心が揺さぶられる時間を作り出そうと、名前について考えるワークショップを企画したが、思っていた以上に「名前」に秘められた力は大きかった。人から授かったもの、一緒に人生を歩んできたもの、人生に影響を与えてきたものなど共通項がいくつもあるため、初対面でも簡単にコミュニケーションが図られ、気づかぬうちにとてもコアな話ができ、小さな入口から大きな部屋に入るような感じでお互いを知ることができる。

新しい名前を考えることは、相手を観察し、その先の未来も予見し、創造力と想像力が入り混じる優しい空間であった。何よりも「これまで考えたこともなかった!」と参加者のフィードバックを得られたことは、より充実感をもたらしてくれた。このタイトルを得たことで、再び何かできたら幸いである。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

ボイスの「社会彫刻」という概念は、彼がアーティストとして真摯に自分と向き合ってきたから生まれたものだろう。私自身Actionを考えたときに、自分自身と向き合う時間がとても重要だった。偽りのない人生観やアートに対する思いを洗い出し、本気でActionを自分のものにする覚悟をつくる時間があったからこそ、ワークショップはイベント化することなく、私と参加者の心を揺らす時間になったのだと思う。

活動を終えて、私は社会彫刻家とは「目の前にある課題に真摯に向き合って行動する人だ」と考える。日々漫然とやり過ごすのではなく、柔らかい頭で動くことを惜しまない、そんな人ではないかと。まるで己に厳しく生きるような印象を受けるかもしれないが、そうではない。日々楽しむことを本気でやること、人との繋がりを大切にすることなど、それぞれが目指す社会彫刻家であってよいし、私は自分の理想とする社会彫刻家を固定せずに更新していきたいと願う。

惜しまずに行動したとき、私の中にあるアート的な要素が表出し、周囲に波紋のように伝わるのではないだろうか。そして他者と関りを持ち続けることも社会彫刻家の使命なのだと思う。

荒生真美のAction「自分のことを忘れていたことを忘れていた」

 

 

荒川真由子Relight Committee 2017を終えて

ほっとしている。
やはり、ふだんは何となく、流れるままに生きているからだと思う。
Relight Committeeには、自分の「軸」となる考えをもう少し掘り下げよう、と参加した。
Actionページにも書いたが、自己肯定感の低いわたしは何をやるにも謎の不安がつきまとい、
それと格闘するのに少し疲れてしまう。この不安から逃れるために「軸」を手にしたいと考えていた。

Relight Committeeに参加する前、わたしのなかで「軸」を手にするのはとても難しいものという意識があった。イメージしていた「軸」は、知識や経験がなければ得られないものと思っていたからだ。しかし、途中から「自分だからこそできること」が「軸」なのではないか、と意識が変わった。この変化によって、「軸」は自分と身近なものと思えるようになったし、自分の周りに渦巻いていた不安を共有できるようにもなった。
けれど、それと同時に自分の考えを他人に共有するたび、不安が増していくことも感じていた。わたしが抱えてしまう不安のありかが、他者に迷惑をかけたくないという思いから来るものだったからだ。今まで「不安だ」とか「自信がない」という言葉で逃げて、実は不安のなかでぬくぬくと安心していたのかもしれない。

だからこそ、Relight Committeeを終えて、この不安から解放されてほっとしているという感想が先に来てしまう。けれども、今回実施したお守りを贈るというActionは、自分だけではできなかった。
わたしと相手との関係で成り立つ極めて内向きなものではあったけれど、それを自分ごとのように捉え、支えて、意見してくれるメンバーがいてくれたおかげで、なんとか最後まで踏ん張れた。

自分のだめな部分を共有して受け入れてくれるならば、その寄り添ってくれる人に頼ったっていいのだと思う。

逆に、受け入れられない人だっている。それは忘れてはいけない。

自分のことを全人類に認めてもらいたいなんて重く考えなくていいし、
もうすこし軽やかに、他者との関わりを増やしていきたい。

自身のActionを振り返って

今回わたしは「自信を取り戻す方法」とタイトルをつけ、自分が大事に思っている人へ誉め言葉を詰め込んだお守りを贈るActionを行った。

このActionは「自信のない自分」と向き合うことを念頭に形作ったものであったが、
結果としては自分自身のためというよりは、他者に対して行うものとなった。
なぜなら自信のない自分と向き合うことは、他者と向き合うことになるからだ。
自信がないと言うと、人はそんなことないと励ましてくれたり、誉めてくれたりする。
それを「自信がないから」と言って受け止めずに来た感覚がある。
自ら自信を獲得することを拒んできたのだ。
だからこそ、今回はこれまで言葉をかけてきてくれた他者に向き合って、
素直に言葉を受け入れ、今度はこちらから相手を誉めるためのActionを作ることをしたかった。

お守り作りは、包む外側を作るよりも中身の誉め言葉を書き出すほうが大変だった。本当の誉め言葉は、相手をよく見ていないと書けないからだ。過去の写真を見ながら相手の発言や行動、格好などを思い返すと、誉めたいなと思うポイントがたくさん出てきて、(気持ち悪いかもしれないが)より相手のことを大事にしたいと思う気持ちが増したように思う。

3月11日に合わせて郵送されたお守りは、無事にそれぞれのもとに届いて、受け取った相手から予想以上に感謝の気持ちを伝えてもらえた。こうやって、ちゃんと向き合ってくれる相手を、さらに大事にしたいと感じることができた。

わたしがお守りを贈ることで自信がつくほど、自信を取り戻すことは単純なことではないかもしれないが、他者と向き合うことで生まれた感情はプラスなものであった、という実感は大事にしたい。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

社会彫刻家と聞いたとき、「彫刻」という言葉の持つ鋭く突き刺すような響きが気にかかって、Relight Committeeに応募することを少し躊躇していた時があった。
何かActionを起こすとき、社会を傷つける、誰かを傷つけるようなことがあるのかもしれないという不安があったからだ。
でも、いまでは違う。
社会彫刻家といえる人は、自分をよく知っている。

弱さもできないこともわかったうえで、それを人と共有でき、
時と場所と、人と、雰囲気と、様々な要素を敏感にキャッチして、
いま何が出来るのか自分ごととして噛み砕き、アクションとして形に落とし込める人。

それは決して鋭利な存在ではない。強いけれど、とてもしなやかで柔らかい存在。

本音を言えば、わたしはいつでも社会彫刻家ではない、ごくたまに社会彫刻家である。

いつでもONの状態でいることは少しつらい。

けれど、わたしだけじゃなく、どこかにいる誰かもActionを起こして、日々社会を変容させていると実感があるから大丈夫だという希望は持っている。

荒川真由子のAction「自信を取り戻す方法」

 

江口恭代Relight Committee 2017を終えて

Relight Committee 2016、2017と2年間メンバーの一員として参加し、今、最後のRelight Daysも終え、本当にこの2年間で自分自身が強く優しく、自分なりの愛を行動に移せる人に近づいたのではないかと感じています。
Relight Committeeには、個性豊かなメンバー一人ひとりの思いを受容し、共感し、さらに深化し、Actionに繋げるために様々な職種の人たちが関わってくださり、さらにOB/OGが真剣に共に伴走してくれる、そんなコミュニティでもあり、言葉では表現できないほど感謝しています。
自分の思いがActionとして形となり、そのActionを見た人たちの心に何か感動や自分の思いが届いた瞬間の喜びは、初めて感じる新たな喜びでした。

昨年は自身の歌いたいという気持ち、今年は子供たちに届けたいという気持ちが強くありました。共に歌うということは、何か形や目に見えるものではなく、その歌っている瞬間瞬間のお互いの心の受け渡し、交流、目に見えない思いを、歌の歌詞を通してお互いの心に染み渡らせていくような時間でした。子供達と対面で歌い、表情、呼吸、その場の空気感、空の色など感じながら、今、私にできる届けたい思いを込めて歌うことができました。
Relight Committeeに関わったすべての人たちとこうしてRelight Committeeを通して出会い、縁をこれからも紡いでいける幸せを感じながら、これからもActionし続ける人でありたいと、そう、コミットしたいと思います。

「人生は人との出会い」。2年間、私の人生に登場してくださったみなさんに心からの感謝を伝えつつ、更により深く強い縁にしていくためにも、私自身も社会彫刻家の一人として生きていきます。
本当にありがとう。 

自身のActionを振り返って

「花は咲く」に始まり、「花は咲く」で終わる。
私の2年間は、この歌との2年間でもありました。いくつもの偶然の出会いが重なり、昨年はNPO法人インビジブルのインターン香月さんと「花は咲く」を二人で歌い、今年は港区笄小学校の江原先生の大切な小学4年生の子供たちと宏子さんに背中を押してもらいながら、「花は咲く」を宮島さんの『Counter Void』の前で歌うことができました。

子供たちとは初対面、初めは80人近い大勢の子供たちの前で歌うなんて、自分にできるだろうかと不安でいっぱいいっぱいでしたが、前奏が始まるとともに気持ちが被災地へ向かっていき、心ひとつに歌うことができました。中には気が付くと泣きながら歌っている子供たちがおり、その姿により私も涙して最後まで歌いました。歌を通して互いに思いを馳せることができ、子供たちの心に、何か今回私と歌ったことで、これから人生の苦しいときや辛いときなどに思い出すきっかけとなれたらと感じています。
後日、江原先生から一緒に歌った子供たちからの手書きのカードを沢山いただきました。涙なしではとても読むことができませんが、「思いは届いた!花は咲いたんだ!!」と感じました。「花は咲く」は未来への希望の歌です。一緒に歌った子供たちの希望に満ちた未来を願って、これからも歌い続けます。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

自分の思いを見つめ、社会に対して自身の使命を見つけて社会のために行動していく人だと感じます。自分自身の可能性や力を感じ続けることも必要ですし、他の人の心に届けられるように、やはり自身の本当の思いを見つめ続けられる人だとも感じます。

私は、宮城県生まれでありながら震災時には何も被災地の為にしなかった、またしてこなかったことにどこか罪悪感がありました。このマイナスな負の感情が、昨年のAction、今年のActionが生まれる原点となった思いです。

偶然の出会いで初回の授業で歌った「花は咲く」、昨年のActionの時に何度も歌った「花は咲く」、今年子供たちと一緒に歌った「花は咲く」、最後のRelight Committeeの公開講座でみなさんでワンフレーズだけ歌った「花は咲く」。自分でも正直毎回「花は咲く」ばかり歌っていていいんだろうか、本当に意味があるのだろうか、誰かに思いはちゃんと届いているんだろうかと感じること、半信半疑になりそうな時もありました。ただ、一つだけ言えるのであれば、「花は咲く」を歌うときに込める思い、その思いだけは正直であり、自分の心で感じた痛みでした。その思いだけは自分で信じることができ、被災地出身の私だからこそ届けられる思いではないかと、その点は自分を信じることができました。

私はアーティストではありませんし、芸術関連の仕事もしていないけれども、この2年間で自分の思いと社会との関わりを見つめ、「花は咲く」という歌の力を感じ、自身が感じた痛み、東北の人たちが震災後7年経っても変わることのない言葉にならない思い、ある日突然大切な人を亡くす悲しみ、苦しみなどそうしたマイナスな思いを、大げさに言ってしまうと勝手に引き受け、歌うことで少しでもそうした思いを癒すことができ、また想像し思いを馳せることができる、そんな思いやりのある社会を目指したいと考えています。

これからも社会彫刻家の一人として、この2年間で出会うことのできた人たちのため、またこれから出会う人達のために自らの思いに素直に正直に、私らしく音楽や歌の力をかりながら、目には見えない大切なものと結びつきながら、日々を懸命に生きていきたいと感じています。

江口恭代のAction「花が咲いた ここからまた心新たに」

 

金江理紗
Relight Committee 2017を終えて

Relight Committeeを終えた今、Relight Committeeに参加する前の、半年前の私へ、こう伝えたいと思います。

面接であなたは「いろんな人と話してみたい。アートをもっと知りたい」と言いました。その願いはすぐに叶います。おめでとう。でも、その願いに隠された――いろんな人と話をすることで補おうとしている“自分の何もなさ、自信の無さ”、そして、アートを知ることで得ようとしている“自分の居場所”――に、かなり悩まされることになります。避けて通ってきたそれらに、真正面から立ち向かうことになります。覚悟しておいてくださいね。

自分と向き合うこと、自分に正直になること。Relight Committeeでは、その覚悟が問われました。「社会彫刻家」になるための過程において、きっと必要なこと。アートがあなたにいつも「君は誰?なにをどう考えているの?」と問いかけてくれるように。

一番伝えておきたいことは、人にも、環境にも、何もかも、あなたは本当に恵まれているということです。それでは、また半年後に。

自身のActionを振り返って

私はActionができませんでした。「もう何も、生み出すことはできないんだ」と自分を責めました。

それと同時に、責めてばかりでは何も始まらないと自分に言い聞かせ、なんとかRelight Committee最終日のAction報告を、社会に出る前に与えられた、自分を見つめ直す絶好の機会として捉え、一つの節目にしようとしました。 Relight Committeeなら、こんな未熟な私でも受け入れてもらえるかもしれないという、希望を持って。

そうすると、想像以上、想定外の反応が返ってきました。

「世界を見てほしい。贅沢な悩みだとわかるから」
「この形は、あなたにしか作れないよ」
「あなたはアートを知っている、表現しなきゃ生きられないだろう?」
「もうこの報告自体が、アクションだ」

 

”自信の無さ”の原因である、無意識に背負って生きてきた不甲斐ない過去たちを、はじめて肯定してもらえた、かけがえのないもの。生きやすくなる言葉を、自分を許そうと思える言葉を、たくさんたくさん頂いたのです。感謝してもしきれないほどに。心がみるみると軽くなっていくのがわかりました。そして、自らの手で生み出したものを自らの手で壊すこと、否定することは、自分のすべてを否定することと同義だということがわかりました。だから、生きづらかったんだとも。その上で今は、表現することを諦めたくないと思えています。

本当にありがとうございました。少し強くなれた気がします。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

私はまだ、社会彫刻家とは何かという問いに答えることができません。答えのないものなのかもしれません。でも、「社会彫刻」という言葉が、概念が、私を変化させました。

「社会を彫刻するには?」
「社会彫刻家になるためには?」

創造性と想像力をもって「自ら問い続けること=アートの力を体現すること」。つまり「自分の力を信じてみること」ーーメンバーのActionの一つひとつが、その人自身の言葉で語られてはじめて意味を持つように。その人自身の行動で、はじめて意味を持ったカタチになるように。そして個人の物語が、他の人も巻き込む社会の物語になっていく――社会は、世界は、見える景色は変わるということは確かです。

そして、間違いなくRelight Committeeは、社会彫刻家を育成する場所でした。

アートはすべてを救えるわけではない。けれど、アートは居場所を与えてくれます。アートは、考える種になります。このことを忘れずに、社会彫刻家になるためのActionを続けていきます。私のアイデンティティにある”アートと共に生きる”ことを諦めたくないから……。アーティスト的な生き方を目指して、これからも自分と向き合い、自分を表現していきます。

金江理紗のAction「真っ白なキャンバスに向かっても、ちゃんと筆が持てるように。」

 

坂田由美Relight Committee 2017を終えて

最終報告会から4日経ちましたが、まだその余熱が冷めやらない状態が続いています。2017年7月から2018年3月までの半年余り、普通に生活していたら交わることがなかったであろう様々な立ち位置にいる仲間と、「自分との対話」を共有し続けてきました。大人になってから、パブリックな場所でこれほどまでに自分の深部をさらけ出したことはなかったし、さらけだされたこともなかったと思います。

そんな仲間たちが、それぞれ最大限の熱意を込めて自分の思いを「自分にしかできないAction」として実行した姿、実行しようとしている姿、実行しないという選択をした仲間が、その思いの深部を表明した姿は、私の心の深いところに、静かに、けれど強く熱いものをもたらしました。

Relight Committeeを通じて出会ったすべての皆さん、私の人生にとんでもないチャーミングな魔法をかけてくれてありがとう。みんな、面白いこと、これからも同時多発的にやっていこうぜっ!!

 自身のActionを振り返って

自身のActionを考えている最中に、「乳がん」という人生最大の危機に直面しました。通常では悲劇ととらえられるこの現象を「Actionにして面白がっちゃえばいいじゃん」という発想に転換できたのは、Relight Committeeに参加していたからにほかなりません。

手術も、治療も、術後の痛みや女性の大切な部分を失ったことさえも楽しんでみるとこうなるよ、そんなことを「エキスパンダー☆ユミ」という歌とキャラクターにしてRelight Committee内で発信してみたところ、何人もの人が面白がってくれました。

最初は自分の思いつきでしかなかったことが、多くの人の協力を得て自分だけのものではない表現になっていく過程は、「乳房を失った女」になることへの不安をはるか彼方へふっとばすほどのワクワクに満ちた素晴らしい体験でした。

自身のActionから驚くような対話や出会いの機会が生まれるということ。そしてそれは相当楽しいということ。そんなことを知ってしまったので、これからもどんどんActionし続けていこうと思います。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

「社会彫刻家である」と安易な気持ちで名乗ることはできない。けれども「私は社会彫刻家になるのだ、ゆえにこのような行動を起こすのだ」という強い決意と覚悟は必要だろうと思います。

面接時に、宏子さんと暁甫さんから「あなたにとって社会彫刻家とはなんですか?」という問いを投げかけられ、「自分の内から湧き上がってくる思いから、社会を変えるような行動を起こす人」と答えたのを覚えています。当時は「社会を変えるようなことがしたい」というような気持ちを漠然と持っていたように思いますが、Relight Committeeでの対話を経て、社会彫刻家の行動の源になっているのは「意図せずに湧きあがってくる思い」であって、「社会を変えようとする意図」ではないことにはっきりと気づきました。

今私が思う社会彫刻家とは、自分の深いところにある「思い」、自身の日常の中で実現していない「思い」を実現させるために「バカバカしいほどの熱量を持って」具体的な表現行動を起こし続ける人です。自分がやりたいからやる、それこそが社会彫刻家の行動だと思います。

思いが実際に他者に伝わり、社会を変えることになるかどうかは分かりません。ですが、自分を信じて行動し、思いが伝わる可能性を作り続けることこそが、名実ともに社会彫刻家に近づいていくことになるのではないかと思います。

ですから「社会彫刻家である」とは言わずに「社会彫刻家に絶対なるのだ」と自分に言い続けていきたいです。

坂田由美のAction「エキスパンダー☆ユミ」

 

日向貴之
Relight Committee 2017を終えて

「Relight Committee 2017を終えて、自分は就活期に終わらなかった自己分析を終えられた気がした」。
最終回の座談会で僕はこう言った。Relight Committeeでの活動で得たものはまさに「自己」であり、「言語化」というキーワードを得たことによって僕は世界がだいぶわかりやすくなった。

Relight Committeeとは、僕にとって様々なバックグラウンドを持つ他者という鏡を通して自分を見に行く場所であったし、「旅するコミッティ」で八ヶ岳に行き体を動かすなど普段やらないことにも取り組めたので、まだ知らない自分があることを知れました。社会人1年目の自分は、自身になにができるか、これからなにをしていくのかに不透明感があってRelight Committeeに入ったのだが、その目的はかなりの部分で達成できたと感じている。若輩の自分とフラットに話し、自己分析の助けをしてくれたメンバーは、自分にとって宝であった。

自身のActionを振り返って

自分のActionで始めた「話を聞きに行くサービス」は不思議な展開を見せた。「サービスをしています」と表明することで、周りの方々が面白がって僕に話をする機会をくれるようになったのだ。

実際に対象者と話している瞬間は僕にとって日常だが、その行為を「サービスです」と銘打つことでいつもは聞けない話を聞けたり、新しい人との出会いがあったりする。このActionは僕が「話す」プロセスが面白いと思ったのだが、やってみると話しに行くまでのプロセスの方が面白かったりする。

最終回で、宮島達男さんから「メンバーの中でも特異」という言葉をいただいた。それは僕の生き方そのものを、非日常化しているからこその特異性ではないかと考えた。このActionは、一人でもサービスが成り立つことや、自分のいつもやっていることが誰かの需要になることを気づかせてくれたので、そうした自分の長所を応用することができるという意味で、これからの人生の選択肢が増えたようにも感じる。

今後は、第5回の授業で知った二宮圭一さんの「小さな肖像」のような形で、僕が話した人たちのたわいのない事柄を、言語化して保存していくことが価値に結びつくのかもしれないと考えている。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

自分が考える社会彫刻家とは、「やりたいと思っていることをやっているうちに、周りに影響が及んでしまう人」である。

Relight Committee 2017での約8ヶ月の活動の中で、それぞれが集大成として出したActionに限らず、メンバーは様々なActionを行っている。律子さんの「家族写真」、金江さんの「六本木飛び出し事件」、細田さんの「旅するコミッティ」そして「エキスパンダー☆ユミ」突然の誕生。これらの行動はすべて作りこんで満を持して発露したものではなく、「やりたい!」という純粋な感情と熱量が生んだものだ。しかし、それぞれのActionと同じくらい、またはそれ以上にメンバーに大きな影響や印象を与えている。

思えば、授業で社会彫刻家として紹介されるアーティストで印象に残った人も、熱量で体を張っている人が多い。このことで思ったのは、社会彫刻家は立場ではなく「瞬間」なのではないかということ。強烈な熱量によって生まれた行動が他者に影響を与える「瞬間」こそが、社会彫刻家であり、その「瞬間」誰もが社会彫刻家といえるのではないかと、そう思えた。

日向貴之のAction「生きることは『言語化』すること」

 

細田東男
Relight Committee 2017を終えて

小さい頃からアートとは縁のない暮らしをしてきた私が、人の中にあるアートを意識したのは地球交響曲(ガイアシンフォニー)という映画に出会った30代半ば。
地球は一つの生命体であり、人やそのコミュニティは目には見えないところで繋がり、自然とも応答を繰り返しながら進化している。40歳になる時に家族で八ヶ岳に移住して、子供たちの成長を横目で見ながら暮らすこと、生きて行くことに必死だった40代。そして50歳でパートナーと共に起業。
自らの足で立ち、行動を続けてきたここ数年。そんな時に出会ったのが「Relight Committee」であった。しばらく眠っていた自身の中にあるアートへの思いを、Relight Committeeは再び火を灯してくれた。
昨年7月より、毎月あずさに乗って八ヶ岳から約3時間の移動。ふだん山に暮らす私にとっては、毎回が非日常への小さな旅でもあった。様々な年代、多彩な背景と立ち位置や役割を持った仲間が10人集まっていた。共通項はアートの熱。熱量と熱の状態は、それこそ様々だったように感じている。
毎回の座学やゲストを迎えてのトーク、街へ飛び出してのインタラクション。どれも刺激的な場の中で、仲間と共に自分に向き合うことができた。弱い自分、見たくない自分をさらけ出したことで、深いところでの変化をもたらしてくれた。アートは自分にとって生きる力になっている。
3.17でRelight Committee 2017を卒業したわけだが、アートの火は私の中でしっかりと熾火となった。ここから火を広げ熱を伝えていく表現者になる。

自身のActionを振り返って

「Run 〜自由なる思考・走ることの自由〜」
迷いの森に入りなかなか抜け出せない。思考することに囚われ、思考を手放さないといけないと自らを縛り続けていた数ヶ月。
Open mind(開かれた思考)、open heart(開かれた心)、open will(開かれた意思)。
重い腰を上げ、トンネルを抜け出て、走り出すことを決めた。
準備不足、仕事が忙しい、母親の入院。やめることの言い訳を用意していた。
私の中のアートと向き合い、メンバーとも語り合ってきた8ヶ月。直前まで悩み最後に出した答えはRun。
八ヶ岳の麓、日常のフィールドでの9時間20分、約50キロに及ぶAction。身体と向き合い私の中のコアを感じる走りだった。
一方で目標の距離には遠く及ばず、悔しさの残るActionでもあった。これをバネにずっと続く新たなActionへの始動としたい。

改めて、私が思う社会彫刻家とは?

自分が捉えている社会の境界線を再設定しながら、社会と向き合い美と調和を探求し形にしていく人。ゼロからつくり出すものでも、外から持って来るものではないことをすでに理解している人。
コミュニティに流れているものを観ることができる人。異質を排除せず、受けとめることができる人。諦めず辛抱強く待てる人。居場所をもち自分の重心がわかっている人。 
時空を超えて人や自然と繋がれる扉をもち、社会の枠組みを広げ続けていける人。
残りの人生をかけて、自分が信じるActionを続けていく。

細田東男のAction「RUN 〜自由なる思考・走ることの自由~」

 

松村律子Relight Committee 2017を終えて

当初の受講目的は様々あったが、「アートと社会」の関係性を、実例や実践を持って体験できることが多くあるのではという期待も大きかった。実際は、そこよりも「アートをどう捉え生きていくか」についての学びができる稀有な場所であり、そこから、自分自身をどう拡げることができるのかについて、試行し思考できる場であった。

最初に述べた期待に関して言えば、一番印象に残っているのはジェイソン・シューバック氏を招いての講義だ。世界の大きさ、広さの一片を知ることができ刺激的だった。
Relight Committeeで出会ったメンバーには、まだまだ話したいこと聞いてみたいことがたくさんある。毎回の授業ではその人の感じたものがその人の言葉で紡ぎだされ、考える時間が足りないことはあれど遠慮して腹の内を探る場には決してならなかった。いつでも、受け身の状態にならない「対話」の場であった。

そして、Relight Committeeのプログラムそのものが試行錯誤し完成されていないという点も含め、対話の場であることが「学びの場」としてとても理想的だったなと思う。特に、他者に何かを委ねることが苦手な自分にとっては、様々なことをもっと手放し不器用に生きててよいのだ、と感じられたことがRelight Committee全体を通して得たものとして大きい。自分の物の見方の狭さと向き合うことも毎回のことであった。

様々な年齢、職業、バックグラウンドを大事にしながらフェアでいられる場所だった。 

自身のActionを振り返って

私のActionはまだ現在進行中であるため、完結していない。
そのため、この問いに答えられるのはしばらく先になる。
しかし、まず、Actionを何にするか、たどり着くまでの時間が本当に大きな学びだった。
「Actionとは?」ということに悩み、そして「アーティストとして生きている自分の癖」と向き合う時間となった。「癖」は、自分の可能性を摘んでいるのだと知った。
結果、数回のプレゼンの中で導いてくれたのは「敬遠し、躊躇し、今までやってなかったことをやる」という意識だ。

「自分が楽しく面白いと思い、やってみたいと強く思うもの」を今まで主軸に行動していたが、今回は「やらねばならぬと密かに思うものの、遠ざけていたもの」にスポットをあてることにした。それが、無意識のうちに蓄積した「思考の癖」を取り払うキーワードになると考えられたことで、Actionの内容を決めることができた。

今のところ、まったく初めてのことをやるので、完全に「自分のため」となる苦行のActionがどう変容していくか見えないが、その未知数に希望を持っている。 

私が思う社会彫刻家とは

「アートの力を使って、また信じて、自分の信じることを真摯に粛々とやりぬく人」。
Relight Committeeに参加した当初は、誰しもが社会の一員であり互いに影響しあっているという意味で、誰もが社会彫刻家であり、その中身の濃度ないしレベルが、意識や行動によって変わってくるのではと考えていた。

しかしながら、「社会彫刻家」という言葉はアート活動をするNPO法人インビジブルが生んだ造語であり、根底にあるキーワードが「アート」であるということを忘れてはならないと今は感じる。

「社会に対し、人に対し影響を与える人」という定義だけではあまりに広義であり、そこに「アート」があるかどうかが一つのポイントなのではないか。それは「アーティストに限る」ということでは勿論なく、働きかける際に「アート」、もっと言えばその人が追及している「表現」がそこにあるかということではないかと考えている。

あえて、なぜ「信念」だけでなくそこに「アート」をプラスさせる必要があるのか。それは、「アート」を取り込むことで、その信念がより豊かに、自由に、凝り固まることなくいられるからではないだろうか。
その力がアートにはあるのだと、Relight Committeeで様々なアートの事例に触れたことで、メンバーのActionに触れたことで考えるようになった。
だから、「信念を持ち行動し、社会や人に影響を与えている人」がいたら、「あなたのやっていることはアートですね」と伝えたい。もしかしたら、そうすることでその人の中にある「アート」へのとらえ方が変わり、アウトプットも変化するかもしれない。そうしたら、もっともっと世の中に「アート」の重要性ないしは必要性と、「アート」とは何かという多様な視点から考える機会が増えるかもしれない。

「社会彫刻家」がなぜ必要かと言えば、より社会が豊かになるためだと思う。ではどのような社会が豊かであるか考えるにあたり、様々なアプローチはあれど「アート」が人々のうちに生きていくことが、一つの試みであるのではないだろうか。
そのため、「社会彫刻家」には「アート」のキーワードを忘れないようにしたい。

その上でもう一つ、「社会彫刻家」を目指すとすれば、自信があろうがなかろうが「社会彫刻家である」と意識することが重要であるとも思う。意識をすると、物事のとらえ方や判断、選択がさらにシンプルになっていくと思っている。

実は、何事もカテゴリーに収めたり「肩書き」的なものが苦手だったりする自分にとって、「社会彫刻家である」と唱えることはまだ抵抗感がある。だがRelight Committeeを卒業したからには、私も「社会彫刻家」として生き、その理念を心に留め思考しながら生活したい。

松村律子のAction「うさんくささと出会い直す」

 

松本麻美
Relight Committee 2017を終えて

私がRelight Committeeに応募した理由は3つ。①大学卒業後に遠ざかっていた美術についてもう一度考えたかった。②自分とは全く違う視点を持つ人と話をしてみたかった。③乖離していると感じていた感情と身体を、もう一度つなげるリハビリ(この理由は今日まで誰にも言っていない)だ。
月一でしか会えないメンバーになかなか慣れることができなかったけれど、みんなで集まり話していくなかで多様な考えを知れることがとても楽しかった。また、Relight Committeeで話したことを知人と共有し、また違う考え方を蓄積させることもできた。
何より、話すだけでなく自分自身で体験していったことも良かった。「Relight Committeeを他人にどう説明する?」「擬似的にまちを観光しよう」といった実践を通して、感覚が身体に取り込まれる。それを言葉にしていく。そのプロセスが自分自身の経験を多様にし、メンバーとの会話を通して得た視点が、自分自身のActionに繋がる。この流れが、美術と向き合う時間となり、感情と身体のつながりを少しだけでも強くできたように思う。

自身のActionを振り返って

何をActionするのか。私はまず「社会彫刻家として何をしたいか」と考えた。その頃の私にとっての社会彫刻家は、「人々に何かしらを提示してインパクトを与えられる人」だった。その頃「自由になること」がテーマだった私は、大半の(生物学上の)女性には生えず勤め人には許されないモサモサのヒゲをつけることで、私なりの自由を表現しようと思った。ちなみに、ヒゲはRelight Committeeに入る前からつけてみたかったアイテムだ。やってみると「自由」そのものを表現することは難しく、「ヒゲ=自由」というイメージ自体が共通ではないことがわかった。

Actionをひとまず終え、発表当日。フィードバックと感想をもらって、改めて私にとって「ヒゲ=自由」ではないと感じた。ヒゲをつける行為は、性別に関係なく、一人の人間として接してほしいという私の思いが、知らないうちに形になったものなのかもしれない。そしてそれは、以前から持っていた思いでもある。Relight Committeeに参加していて、何度か過去の思いや感覚を思い出すことがあったが、人は結局同じようなところを昇華させながらも、ぐるぐる回っていくものなのかもしれない。
Actionをやりきったという達成感を味わい、満足したものの、結果的にたどり着いたところは予想していた感想とはちょっと違う。だが、幸いにもヒゲ仲間を見つけ、「ヒゲ=自由」ではなく「分け隔てなくヒゲが人間のファッションの選択肢でも良いのではないか」という新しいテーマを得た。これからもヒゲをつけるActionを続けていきたいと思う。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

私が思う社会彫刻家とは「自分の信念を持って生きている人全員」だ。

さきほど書いたとおり、最初は「人々に何かしらを提示してインパクトを与えられる人」、とくに「全員がのびのびと生きられる良い社会を目指しながら活動をしている人」こそが社会彫刻家だと考えていた。けれどもRelight Committeeで様々な立場の人と話し、様々な意見を知ったことで、それまで一つだった私の「生き方」のイメージが、バリエーションを持つようになっていった。今回のRelight Committeeメンバーには母親もいれば学生もいて、一人ひとりが違う生き方をしている。人はそれぞれの信念を持って生活をしていて、その良し悪しつの物差しで計ることはできない。
社会彫刻家として生きることは一瞬簡単なように思えるけれど、今の社会のなかでは難しそうだとも思う。多くの制約があるなかで、一体どれだけの人が自分の思いを見失わないで生きることができるのか。

私は弱い人間なので、今はまだ「社会彫刻家です」と名乗れない。その時がいつになるのかはわからないが、名乗れる時がくるまで、Relight Committeeでの学びと気づきを忘れないようにしながら、私自身の信念はどこにあるのか、社会彫刻家から離れないようにしながら生活していこうと思う。

松本麻美のAction「ひげをつける」

わたなべめぐみRelight Committee 2017を終えて

打ち上げの時間も含めたRelight Committee最終日に、ようやく実感を伴ってわかることがいくつもあった。言葉としてはそうだと思っていた。けれどちゃんとわかったのはこの日だった。

Relight Committeeは対話の場であるということ。当たり前だけれど、それはとても貴重で有限なものであるということ。

そしてRelight Committeeメンバー、宏子さん、林さん、室内さんとわたしは十分に対話できていたのだろうかというと、十分ではなかったということ。最終日、Actionの発表を終えたくらいからいろんな言葉がようやく身体に入ってきて、はっとした。じぶんとばかり対話してしまっていたのではとも思った。

ここで出会ったそれぞれのメンバーは、違うことを拒むことなく、それぞれを受け入れ、けれども自分の思いを譲ることもない人たちだった。緊張感を伴いながら、人への想いを馳せたうえで伝えている語り方をとても覚えている。

どの授業もとてもいい時間だったけれど、印象深かったのは、メンバーの家でActionの話をした時間、Relight Committee 2017のActionを紹介する冊子づくりを通してメンバーとしたやりとりや、最後の打ち上げの時間だった。

そういった時間の対話のなかで、素っ裸でぶつかりにいくやさしさ・愛、他人への思いを巡らせる想像力にはっとした。一方で、じぶんを守るためにぶつかることを避けてしまう弱さ、それが故にじぶんの思いにばかり耳をすましていたのではないかということにも気がついた。

想像力、愛のある人を目指すことが、comfort zone(快適さ)から飛ぶために必要なことのひとつだと思う。じぶんを守ることよりも人を思えるようになれたら、越えられないでいる線を越えられるようになるのではないかと、そう思っている。

そしてここで出会ったメンバーにこれからも学んでいきたい。

自身のActionを振り返って

わたしのActionタイトルは『わたしのたたかいかた』。ひとやすみのきっかけとしてのしゃぼん玉を配布し、時の記念日にともに吹くという、生きるための、やすみを渡すプロジェクトの実施がわたしのActionだ。

まず思うことは
・ comfort zone(快適さ)から抜け出せるものだったのか*1
・ チャーミングさはそこにあったのか
それらの点では反省がおおきいということだった。
けれども、反省点だけかというとそうではなかった。わたしは2015年にこどもを授かり出産をした。こどもと関わる仕事をしていたわたしは、じぶんたちのこどもを預けてほかのこどもと関わることに違和感を感じ、職場から離れることを選んだ。そして「これから何をしたいのか」「わたしには社会に対して何ができるのか」を問う日々のなかで、宏子さんの投稿からRelight Committeeのことを知り、応募した。この「自分は社会に対してなにができるのか」という部分に対しては、向き合い考えつづけ行動できたと思う。
結果として、わたしが今できる精一杯なものがこのActionである。まずは自分と向き合い、現時点で持っているものはなにか、できることはなにかを問い考え、自分の持ちものとできるやりかたを知りながら行動を起こしやり遂げようとしたことが、今回のActionとなったと思う。わたしのActionはまだ実施最中である。このActionを経て、次にcomfort zone(快適さ)から抜け出すことができるようになるためにも、6月10日まで切実にやり遂げたい。

*1:第8回授業のテーマ「居心地」の中でcomfort zone(快適さ)から抜け出すようなActionを、という話があった。

改めて、私が思う社会彫刻家とは

最終授業にて、社会彫刻家とはなにかをRelight Committee 2017メンバーで話し、わたしは「切実に生きるひと」だと答えた。ほかのメンバーの意見も聞き、『Ways to End Pablic Art Relight Project』を読み、わたしが社会彫刻家だと思う三人に共通するものはなにか書き出しながら、改めてもう一度考えている。書き出したなかの共通するいくつかは以下だ。
・ 不器用にも、生きることを正直にさらけ出している
・ じぶんはどう思うかを問いつづけ、潜ることと表すこと(行動)をくり返している
とべない鳥というのがいる。彼らは、獲物をすぐに捕まえることができ、敵のいない特殊な環境がないと生まれない。外来種や人が入り、少しでも生態系が崩れるとすぐに絶滅してしまうそうだ。このことを知ったとき、彼らの存在自体がメッセージだなと思った。器用ではないものだからこそ渡せるものもあるのか、と。そして、そういうかたちならばわたしも渡すことができそうだ、そう思えた。

「覚悟と責任をもって、じぶんの表現を粛々とつづけて生きるひと」。

これが今、わたしが思う社会彫刻家だ。

そして、これがどのように生きていきたいかの今の問いの答えでもある。

わたなべめぐみのAction「わたしのたたかいかた」


Relight Committe 2017メンバーのレポートは以上です。
すでにActionが終了したメンバーもいれば、まだこれからのメンバーもいます。今後Actionを起こすメンバーは個人のActionページ内にリンクのある外部サイトにて、Actionの実行を報告していく予定です。

Relight Committeがこれまで3年間の活動で輩出した社会彫刻家はのべ34人。

Relight Committeから生まれた社会彫刻家たちは、今後社会に対してどのようなActionを起こしていくのか。これからの行動も楽しみでなりません。

レポート執筆:荒生真美、荒川真由子、江口恭代、金江理紗、坂田由美、日向貴之、細田東男、松村律子、松本麻美、わたなべめぐみ(Relight Committe 2017)