2016年9月10日、晴れのち曇り。不快指数100%なほど蒸し暑い。
東京・市ヶ谷にあるアーツカウンシル東京のオフィスは、土曜であることを差し引いても静かな環境。ドラマにも使えそうな白で統一されていて、仕事がはかどりそうな感じ。企業の水準を測るトイレもぴかぴか。エアコンの温度調節が難しいことを差し引いてもGreat。
Relight Committeeの第3回目のレポートを始める前に、前日9月9日に行われた「六本木をきれいにする会」から説明しなければいけない。
今年で20年目を迎える「六本木をきれいにする会」は、その名の通り、箒と塵取りを持って六本木の街を掃除する会で、六本木の地元商工会の方々らが中心となって活動している。
我々は街を歩くとき、何を見て歩くだろう?
標識。信号。店の看板。行き交う人。行きなれた通りや街でも、視線はいつも一緒だったりする。しかしこれに行動が一つ加わると街の景色は一変して見えてくる。
掃除もその一つだ。箒を持ちながら街のゴミを拾っていると、視線は平行線から足元になり、街の汚れ具合というそれまで感じた事のない目線で街を見るようになる。視点一つで街は変化する「モノ」なのだ。
一つのものを違う角度で観る。これこそ、社会彫刻家としての素養なのではと思う。
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前日の「六本木をきれいにする会」に続き、以下では第3回目のRelight Committeeについてレポートしていく。
まずは事務連絡の中で、Relight CommitteeのInstagram運用について話があった。
写真共有サイトInstagramにはRelight Committeeのアカウントがあり、メンバーそれぞれが日々の生活の中でアートだと感じたものを投稿することになっている。アカウントの存在は知っていたものの、私はまだログインしていなかった。面目ない。
これまでInstagramに投稿された中から気になった写真が紹介された。都バスの写真は手書き標語がおもしろく、野菜の写真は富樫さんが撮影したもので、どことなく郷愁を誘う。ウルトラマンの案山子ははたしてアートなのか。このアカウントは日々更新されているので、ぜひチェックしてみてほしい。
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次に前回のおさらい。
メンバーそれぞれが、今知っている知識をもとにRelight Projectについて話をする。
「どういう形で『Counter Void』 を再点灯させるのかを考えるプロジェクト」
「現代美術作家・宮島達男氏がなぜ作品を消したのか、なぜ再点灯させるのか考えるプロジェクト」
「アートというわかりにくいものを、わかりやすく理解してもらうプロジェクト」
ほかにも、意識して言い方をかえてみる。
「アートを軸にしてコミュニティを語る場」
「それぞれがそれぞれの立場でアートとはなにかを語れる場」
「東日本大震災だけでなく、911やボストンマラソンテロ等を踏まえた、あらゆる生と死を考える場」
「Relight Daysのスキームつくりをする場」…
ちなみに、授業の中で頻繁に話される「ソーシャリー・エンゲージド・アート」とは「参加、対話、行為に重きを置き、美術史はもちろん、教育理論、社会学、言語学など、さまざまな分野の知見を活用しながらプロジェクトを組み立て、コミュニティと深くかかわり、社会変革を目指すものです」と、とあるwebで記述されていた。
私は難しく考えられないので、「なんでこれがアート?」と思うこともしばしば。だからこそこのような社会をつなぐ、考える場についても、このRelight Committeeで色々と模索していきたい。
次は、座学の一環として紹介された、アーティストたちやアートと社会をつなぐ活動について考えていく。テーマは「足元から生まれる社会:地域コミュニティへのアートの活用と接続」だ。
以下、私のメモをもとに紹介された作品名やアーティストを列記していく。事例の紹介だけでなく、ゴミ、掃除を切り口に社会とアートをつなぐための問題提起へと話は進んでいった。
• 「Ausfegen(Sweeping Up)」Joseph Beuys (1972-85)
• 「ハイレッド・センター」(1964)
• Billy Apple (1970-75)
• 「Art that Sweeping the City」Jo Hanson (1970-75)
• Dumpster diving
• 「BASURA バスーラ」「神の子たち God’s Children」など(監督:四ノ宮浩)
• Vik Muniz
• Fallen Fruits
たとえば、Dumpster Divingは文字通りゴミ箱にダイブして食べられるものを発掘すること。ダイバー(diver)たちは「何をもって棄てるものなのか、何をもって使えるものとするのか。」をアクションで問い正す。大きなゴミ箱(Dumpster)にDiver(人)が入って、皮肉にも笑顔でバナナを食べている。周りには少し腐りかけた果物もある。
また彼らは、どこにどの時間にどんなものが棄てられているのかをマッピングしていく。
「バスーラ」「神の子たち」は、ゴミの山を舞台に展開されるドキュメンタリー映画だが、ゴミから見えてくる壮大な社会テーマがある。
「Dumpster Diving」と「バスーラ」「神の子たち」はどちらもゴミという視点では同じだが、一つは裕福な世界のゴミ、もう一つは貧しい世界のゴミ。この対比を考えることにも大きな意味がある。
アーティストコレクティブのFallen Fruitsは、街中に実っている果実の中で、食べられるものをマッピングする活動を通じて、公共性に関する問いとそこで生まれるマップがアートだという。
数々の作品や活動から見えてくるのは、ゴミも見方一つで無駄なものだったりアートに変化する有益なものに変化したりする。アートも見方一つで無駄なもの、要らないものといわれるようになる。社会性とアートの垣根は線引きが難しい。乱暴な言い方を恐れずにいうと、ゴミとアートは紙一重である。
以前、金属リサイクル業に従事していた私は、資源を消耗し続ける社会の中できれいなものを見せることだけがアートではなく、ゴミから有益なものを生み出すのもアートだと聞いてはっとさせられた。
昼食を挟み、後半は、六本木の街歩きをすることに。3人1組になり、1時間ほど六本木の街中で風景や人物を撮影し、Instagramにハッシュタグをつけて投稿する。課題は、それぞれが六本木という街を想像したときに描く姿をまず考える。それを前提に、街を観察しながら「これを足したらもっと自分が想像する六本木に近くなるのでは?」「逆にこれがなくなったらもっと自分が想像している六本木に近づくのでは」という視点で撮影していく。
成程、ココで前日の「六本木をきれいにする会」とつながるのかな?
さて、そこから見えてくるものははたして?
ここで、私は80年代にタイムワープして、かつて見た六本木と今回街歩きをした六本木との違いについて記述してみたいと思う。
降り立ったのは都営大江戸線六本木駅。都営大江戸線は都内で最後に完成した地下鉄のため、とてつもなく地下深くてモグラになった気分になる。(80年代は日比谷線しか通っておらず、終電が早くて毎回朝帰り覚悟の夜遊びをしていたのを思い出す)
さて地上に。昼の六本木は人通りも少なくて歩きやすい。しかし暑過ぎて熱中症になりそうだ。(昔は、昼間にクラブ帰りの女の子と外人さんが腕を組んで歩いている風景が見える、どことなく不健康な街な印象だった)
1964年開催の東京オリンピックにあわせて建設された首都高速が、常に視界に入る六本木交差点。2008年にリニューアルされた「ROPPONGI」のロゴのアートデザイナーは葛西薫さん。六本木の新ロゴについて、当時の記者会見では「ROPPONGI」の各アルファベットを樹木に見立て、全体で「並木道」をイメージした若草色のロゴとなる。六本木の成長を表すために縦のラインを意識し、天に向かって立つ樹木を表したほか、末広がりにすることで、今後の六本木の発展性を表した」(六本木経済新聞)と述べられている。
(新ロゴ以前の「HIGH TOUCH TOWN ROPPONGI」と書かれた首都高側面のロゴ見ると、“ギロッポン”に来たって感じがしたのを思い出す。ロゴプレートは、昭和63年4月頃、当時の六本木商店街振興組合会長が「六本木交差点に六本木の印が欲しい」と考え、六本木で英会話教室やフラワーデザインの教室を営んでいた経営者に相談。約20種類のアイデアの中から決定・設置し、平成元年3月6日に除幕式を行ったという。年を取るわけだなこりゃ)
今もあるしゃぶしゃぶ「瀬里奈」のある通りに入る。まったく人通りがなく音のない街と感じる。(「瀬里奈」の前にあるビルのテナントは、全フロアにディスコが入っていた。周囲にはいくつものディスコが点在して、夜の街なんだよね)
ところどころ、寂れた雑居ビルや墓苑があったり、かつての時代を感じさせる建物の隙間に高級雑貨店があったり。雑多な店が混在するのが面白い。(かつてはカフェバーやゲームセンターがあって、文化の香りよりも享楽の香りがしたな)
六本木はいまだに外国人の姿をよく見かける。英語表記の看板もある。しかしそれは、国際都市を目指してつくられたものなのだろうか? (コロナビールの味を初めて知ったのは、昔の防衛庁、現在の東京ミッドタウン近くにあったバーの黒人から。札びらを握りしめてタクシーを停めたかつての時代ほど、今はお金の臭いはしないかもしれない)
坂の多い街と感じる。それが不思議に街の造形を形づくっていると感じる。坂には名前の由縁が表記されてあり、読むだけでもその土地の歴史が知れて面白い。六本木には、世界各国の料理店も点在しており、それぞれがインターナショナルな雰囲気を醸し出している。(昔、よく通っていた飯倉片町にあるザ・ハンバーガー・インやニコラス、WAVE、ジャック&ベティ、グリーングラス。ニコラス以外は皆なくなってしまった)
さて、集合場所であるけやき坂交差点の『Counter Void』前に終着。
街歩きで撮影したものを踏まえて、六本木という街をどう考えたのか、各グループで発表する。ひと言では言い尽くせませんが、今も昔も多様性と国際性がある六本木を感じることができた。
違った視点で「モノ」を見ることが、社会彫刻家には必須な視点だと教えられた。
レポート執筆:橋本隆一(Relight Committee2015)
写真:丸尾隆一