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年老いた作品と向き合いながら、どう点けるべきかを考えるーRelight Session vol.1 レポート【2/3】

六本木のけやき坂にある『Counter Void』の再点灯に向けたアートプロジェクトの「Relight Project」。Relight Session vol.1では、作家・宮島達男、アーツカウンシル東京・森司、運営事務局NPO法人インビジブルらを中心に、今日に至るまでの話をしながら「Relight Project」のあり方などや作品との向き合い方についてなどのトークセッションが2015年9月15日に行われた。ここでは、トークの内容をレポートする。

誰のためのアートプロジェクトかーRelight Session vol.1 レポート【1/3】

私が作品とどう関わるか、と問う

宮島:
インビジブルでは、このプロジェクトは今後どういう風になっていくと考えているわけ?

:宮島さんがさっき「Art in You」の話をしたじゃないですか。あの作品がいずれなくなった後に、あの作品に込められているコンセプトもそうなんですけど、作品を思い返すのは、当たり前ですけど人の心の中でしかないと思うんです。

そうしたときに、さっき森さんが言っていたように、このプロジェクトにそれぞれがどういう風に関わるか。まさにこのプロジェクト自体がプラットフォームになって、関わり方によっていろんなアクションが生まれてくることで、もちろん安全面だったりとかオペレーションのところではいろいろ確認することはあったとしても、誰かがすべてをコントロールするのではなく、私がどう関わるかがより一層重要になってくる。

もう一つ面白いなと思ったのは、例えば駅前にある銅像もパブリックアートだとするならば、作られるときは華々しくテープカットして市長が来て拍手してみたいなことになるけど、だいたいそのあとに鳥の糞がついていたり、落書きされていたりするじゃないですか。それを美化すると、その人がいいことをやっているみたいなことになるから、つまりは誰のものでもなくなると思うんですよね。

このプロジェクトは、着実に死に向かってカウントダウンをしていく。だからこそ、死が近づくのに寄り添うことで、いかに自分たちが生きるかを考えるようなものになるんじゃないかな。

宮島:
まさに黒澤明監督の『生きる』だね。

3月11日から13日を意味づける「Relight Days」

NPO法人インビジブル林曉甫
NPO法人インビジブル林曉甫

宮島:具体的には、どんなイメージでこれからの3年間くらいをインビジブルはやっていこうと思っている?

:まず一つは、明確に作品を点灯させる「Relight Days」に向けてプロジェクトを動かしていくことですね。

宮島:いつ?

:3月11日から13日あたりで。

宮島:震災が起きてから作品が消灯するまでの期間ね。

:震災が起こった日と消えた日という、消したことの意味性がある日でやっていこうと思っています。あと、再開発が正式に決まって取り壊されるアクションはもっと先だと思うんです。少なくとも2020年以降、例えば2025年とか。

東京アートポイント計画としてのプロジェクトが仮に3年だとしたら、我々は正式にその死を迎えるまでは、いまのような枠組みでのプロジェクトではなくなると思っています。

なので、その先をどういう風に、我々も一メンバーとして関わるための環境を作って、3月11から13という日が例えば毎年続いていって、ある時にきちんと死を迎える。本当の意味で、私たちのプロジェクトだという合意形成が取れないと成立しないものじゃないか。

宮島:3月11日で点灯させるのは何をするため? そこで、何のために点けるの。

:それはこのプロジェクトを始めるときの企画にもあった、3.11を。

宮島:思い起こす。

:思い起こすのもそうですし、それで亡くなられた方への鎮魂の意であったり。本来、3.11が起きなければ、この作品は今も点いているはずですよね。もちろんそれは、たられば、なのでわからないですけれども。やはり、それ自体を反原発だとか賛成だとか、そういう二極構造にするのではなくて、それぞれの原点として考えるべきものだと思っています。そこから、宮島さんが消した13日までのたった3日間のみ光が灯る。

宮島:1年のうちに、毎年その日に点灯される?

菊池:その辺もふくめて、今後。

宮島:議論していく。

菊池:議論していくのは、このプロジェクトの醍醐味になってくるのかなと思っています。

宮島:また、何をするか。その時に。

菊池:そこのところに、たぶん広い道ではあるけれども何らかの展望が見えはじめたと思っているんです。そこに向けてどういう足踏みをそろえていくかは、今後関わりたい人を受け入れるたくさんの入り口を作りながら、決めていくことだと思っています。

そのなかで、我々の役割は、そこをどう合意形成しながら形を作っていくのかが任務でもあるなと、すごく感じています。

:僕は、さっき焚きつけ屋さんっていわれて。確かに、最初の着火はしたと思う。宮島さんに声をかけてプロジェクトを立ち上げた。でも、再開発が議題にあがり、取り壊しの可能性がでてきた。それはまだ日程も決まっていないし、テレビ朝日も確実なこととは言ってはいないけど、そうしたことも含んでおかなければいけない。

そうした流れになりますよという報告を、インビジブルは引き取り我々も引き取った。そのあとの3月11日から3月13日の間に作品を点灯する形でプロジェクトを進めていこうとする意志は、インビジブルの人たちが率先してきた。

そこの時点で、もう僕は引っ張っていないなと思った。こうした状況に対してインビジブルが応答性を負う中で、いろんなことを考えた結果「そういう風にしようと思うんですが、どうでしょうか」と持って来た時に「あ、よかったな」と思えたのはそこなんですよ。

状況に対して応答し、そのことに共感するメンバーを集めて、しかも僕がいなくなり共催事業でなくなっても、みんなでやっていける状況を作らなければいけないし、そういう前提ですよという状況も含んだうえで、今この場に皆さんがいること自体が、すでに僕がやりたかったことの半分はできたと思っていい気分です。

要するに、議論をしなきゃいけないアジェンダをアートプロジェクトの真ん中に置くことによって、そうした状態が生まれた。もちろんこの先もまだ続くんだけれども、それでも、こうした状況を作るのにやっぱり3年はかかったわけで。その3年という月日のリアルな重さみたいなものも感じています。

それを紆余曲折というんだろうけど、やっぱり3年ないとそういう風にならないんだなって改めて思ったりもしました。そうしたことも含めて、3月11日から3月13日という期間で点灯するプロジェクトになり、当初のみんなお金を持ち寄って新しく作るものじゃないものになったアナウンスもきっちり出ている。「あれ、話変わったんだ?」「今まで点けるのにお金出そうと思っていたのに、なくなっちゃったの」という意見に対して、どう了解をどう取りつけながら新たにやっていくか。

作品の老朽化と向き合うなかで、「生と死」を考える

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:はじめは点ける方向で進めていって、それがいまではもうあと何年、5年なり10年以内にあれが取り壊されるかもしれないものに対して、我々が多くの時間を費やして再点灯する。例えばすべてをLEDに変えるようにしました、総工費に一千万円、二千万円かけました、でもそれが壊されることになったときに、壊すと決断したテレビ朝日さんが悪者になったり、我々がみんなでやったものをなんで壊すんだ、ってことになったりするんじゃないか。

それってすごくテレビ朝日さんに悪いな、とも思うんです。自分の作品を貸してくれと言ってくる人たちに作品を貸して、最後は自分が悪者になっていくのは最悪じゃないですか。しかも、やった側はさんざんやって、みんなで汗かいてお金集めてパーティして楽しかったけど、それもすべて作品が壊されて吹っ飛ぶ感じってどうなのかな。そこから、どうしたらこのプロジェクトは次にいけるのかなと考えたんですよ。

宮島:いいと思いますよ。

:一方で、震災があって点灯していたものが今もずっと消されている中で、少なからずそれは宮島さんの言葉を見ていても電力に対する思いがある。また、アートが美術館のような完全な空調のある空間の中で、永続性をもってその作品自体が保たれていくことって多いですよね。対照的に、以前のテストで『Counter Void』を点けてみたら、作品が年をとってしまっているじゃないですか。照明がちょっと切れていたりガラス割れていたりとか。

宮島:満身創痍です。

:満身創痍な状態で、表面的には照明もLEDにはならなくて、震災前と同じ状態で点けるなかで、言い方は悪いかもしれないけど作品が完成した当時の若々しい美しさはない。20代の美しさはなくて、着実に歩みを進めてしまった娘じゃないですか。これでいいのかな、ってやっぱり思ったんですよね。

:それは僕も思ってて。再点灯をする、しかも単年じゃなく複数年やる企画を聞いたときに、宮島さんに一つだけ聞いたのは、作品は朽ちていくわけなんですよ。ぼろぼろになっていく、という言い方をあえてします。それを伺ったときに、「それでもいいよ、それでいいんじゃないの」って宮島さんが言ったときの潔さが、僕は気に入っている。

菊池:なんか味だと思うんですよね。なんかね。

:そんなに美しく語れない。

菊池:いやいや、違う。

:失望するよ。点けないほうがいいって言う人が絶対出てくると思う。

菊池:なんかその分関与する隙間ができる感じがするんですよ。何かこう、心を入れたものに対して、例えば子供が学芸会で、主役はやるんだけど褒められるほどのものではない、ような。逆にあまりにも完璧すぎるよりも、そうでないほうがみんなが寄り合って全員で盛り上げようとする、もう少し壮大な輪ができるんじゃないかな。

「美しさ」をどうとらえるか

:状況はそんなに悲観したものでもないと思う。今写真に映っている、できたての時の美しい状態じゃないのは確実にそうなんだけど、それよりもプロジェクトのベクトルが変わったことで内包された新しい意義性の方を大切にしたいと思っている。

僕のところで今やっているのは、二種類のプロジェクトしかない。一つは今まで言われている元気にする系。アートで街を元気に、アートでなにかを鼓舞して元気になることを目指すアートプロジェクト。

もう一つがケアの方のプロジェクト。それは、看取りとか終末に向けてどういう風にアートは関わることができるか。そのための方法論を探る事業にも今力をいれている。その時に、このプロジェクトはもともとの再生の意味では元気の方で進めていたものが、急にケアの方向に踏み込んだ。それはそれで、プロジェクトとしてはストライクゾーンなので全然問題はないんです。こうしたプロジェクトを六本木のど真ん中でいくのか、みたいなそれまでと違ったワクワク感があって、悲観はないんですよ。

そういう意味では、当初はじめたものよりも時代にマッチしたプロジェクトに変容したと僕は思っている。ただ、そのことはなかなか了解しにくいと思うんですよ。前の時よりもさらに理解しにくいと僕は思っていて。単に3日間、電気もう一度灯してみましょう、お金集めてみんなで再点灯しましょうっていうのは、アクションとしてわかりやすい。

菊池:そっちのほうが俄然かっこいいと思うんですけれどね。この中で、点灯した綺麗なものを見たことある人いますか。何人かは、見たことないですよね。でね、ここにはそれこそ見たことある人が中心にいると思うんですけれども、多分見たことない人は多くいると思うんです。

宮島:圧倒的に多いですよね。

菊池:ですよね。その中の「美」の話は、非常に議論の余地があると思っています。何をもって「美しい」と感じるかは、自分の中の主観や記憶によるものだと思うんですよ。

:さっきの「美術」の話じゃないけれども、アート作品って基本的にできた状況をほぼ永続的に担保していこうとするわけじゃないですか。パブリックアートにしても修繕しようとするときに参照されるのは、オリジナルですよね。

BEPPU PROJECTで、海辺にあるマイケル・リンの大きな壁画が光で劣化していくので定期的にメンテナンスをしていくんですけど、それはオリジナルのアーティストの指定した色の調合をもとに作っていく。できる限りその状況を長らく担保していこうと考えている。そこには、常に原点に立ち戻る、美術といえばやはりオリジナルがいつでも体験できる構図だと思ったんですね。

プロジェクト型は基本的にその場限りのパフォーマンスがあったりして、変容していくのが前提で作ったりするものじゃないですか、でもこの作品は、当初はメンテナンスをしていこうと思ったら常に最初の状態を目指すものだったんじゃないかな。だから、そこがすごく自分にとっては面白くて。宮島さんが、作品のことを「娘」と表現されてたから、自分の外に出てそれは人々のものだって認識があるのかもしれないですけど、20代の若々しい立ち上がったばっかりの時を、幻想といったらあれですけどそこに戻らなくていいと思っているんですよね?

:そういうプロジェクトになったんですよね。これ、点灯していれば定期的なメンテナンスが入って、アーティスト修繕が入って、あるレベルをキープしている状態を保つはずなんです。

そのキープを今は放棄している。放棄したまんま再点灯だけをしましょうって、従来ではありえない。そんなプロジェクトなので、作品を世の中に3日間だけ現前化させましょうと言っていること自体、アーティスト側の容認がないとできない話もある。それは作品として認めないと言われたら終わっちゃう。

だから、宮島さん自身からコンセプトや発言が変わってもいいっていう発言は、実は我々が問われている問題。想定していなかった変わり方かもしれないし、その辺がこのプロジェクトを僕が着手しようと思ったときに、再点灯したらしたで「非常に重要な作品とかコンセプトを、もう一度社会的に明確にすることがみんなの力ででできる」という意味では、物凄く面白い話だと思ったんです。

『Counter Void』という「娘」をどういじり倒すか

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:「美術」に対して、ちょっとアプローチがすごいなと思うのが、これが多くの人が関わるプロジェクトであるがゆえに聞きたいんですけど、美術家・宮島達男にとってそれはいいものなのですか?

さっきまさに森さんが言ったように変わる方向についてですが、LEDにしても美しいフォルムにはならないわけですよね。欠けていくし割れていくし落書きされるかもしれないって変わり方。それを、でも自分の作品だとは思い続けていくと思うんですけど、それどうなんですか。

宮島:いいじゃないですか。西洋的な考え方の美術のパーマネント性は、姿かたちが同じままでいることのパーマネントなんですね。ただ、いわゆる東洋的なパーマネント性は、変わり続けていく変化そのものが常にあるものとされるわけです。だから、変化していくのは当たり前のことで、それを認めないと世界は固くなってしまうという話。

菊池:今、宮島さんがそうおっしゃって、ある種気づかされたなと思ったのは、多分宮島さんにとってこれ少しずつインストラクション・アートっぽくなってきているなと感じます。要は、作家・宮島達男から我々に対するインストラクションを描いていて、そこを演じる。座組が変われば全然違うものが生まれるって発想と似ているなと改めて思いました。

宮島:こうやって「ボイドちゃん(Counter Void)」が、ここでは「ボイドちゃん(Counter Void)」って言いましょうか。「ボイドちゃん(Counter Void)」が生きられていること自体が、実は父親として大変うれしいわけ。

つまりそれは、もう3年も4年も仕事していないわけです、彼女は。彼女は仕事していないにも関わらず、こんなにもいじられていること自体が、すでに使われているということなんです。アートが使われている現実がここにあって、それが父親として大変嬉しい。

だからそれが、例えば老女になろうが、満身創痍の姿を見せようが、いじられている以上は働いているってことなんです。そう、機能しているっていうこと。それが、僕はアートの役割だと思います。生きている。ベルクソン的に言うとエランビタールの状態にあると思うんです。

:アーティストの引き取り方はそういうので僕は構わない。そうすると、あとはこのプロジェクトを進めていこうとするチームを中心にした、この運動を共有しながら進めていこうとすることが重要。何を価値として協力するか、何をしたら喜びとするのか。どういう風にしていくのかが今後の争点になってくる。

ぽちっとスイッチを入れて点灯した日を3日間つくるのは、「あ、点いたね!」だけになってしまう。そうすると、本当にやることがあるようで実はない。その分たくさんあるみたいなところを、ややこしい面倒くささをどうやって引き取るかが、このプロジェクトが迎えている問題。

菊池:そうですね。まさしくぽちっとやれば点くものだけど、その点け方を考えよう。なんかすごく変な例は、例えば、こう、なんか、『Counter Void』の前で、みんなで指を重ねて、ぽちって(笑)。

:無理なんじゃない?(一同笑)

:うちら駄目?

:少なくともこの発想聞いたときに、出番だと思った人はたくさんいると思います。二人に託しておけないって。

菊池:そうなんですよ。だからそういうことだと思っていて(笑)。

【3/3】に続く

[開催概要]
日時   :平成27年9月15日(火)19:00-20:30(開場 18:30)
会場   :3331 Arts Chiyoda 3F アーツカウンシル東京ROOM302
スピーカー:宮島達男(アーティスト)、森司(東京アートポイント計画 ディレクター)、林曉甫(特定非営利活動法人インビジブル)、菊池宏子(特定非営利活動法人インビジブル)