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誰のためのアートプロジェクトかーRelight Session vol.1 レポート【1/3】

六本木のけやき坂にある『Counter Void』の再点灯に向けたアートプロジェクトの「Relight Project」。Relight Session vol.1では、作家・宮島達男、アーツカウンシル東京・森司、運営事務局NPO法人インビジブルらを中心に、今日に至るまでの話をしながら「Relight Project」のあり方などや作品との向き合い方についてなどのトークセッションが2015年9月15日に行われた。ここでは、トークの内容をレポートする。

Relight Projectをめぐる二つのテーマ

林曉甫(以下、林):Relight Session vol.1のトークをこれから進めていきたいと思います。冒頭で簡単に今日までに至る話を少しさせていただき、そのあとは来ていただいた方々と一緒にディスカッションしていければと考えています。

Relight Project」は、もともと「光の蘇生プロジェクト」として2013年からスタートし、2015年で3年目を迎えています。立ち上げから今日に至るまで、プロジェクトの方向性や関わるメンバー、内的なことや外的なことなどさまざまありました。そうした過去に対する目線を向けるのではなくて、改めて今、なにを「Relight Project」が考えてやっていくのか、未来に向けての話をしていきたいなと思っています。

本日、議論したいトピックが二つあります。一つは「Relight Project」は誰のものか。「Relight Project」は、六本木・けやき坂にあるパブリックアート作品の『Counter Void』を再点灯させるためのプロジェクトです。その活動には、立ち上げに関わっている作者・宮島達男さんと主催者である東京都、アーツカウンシル東京、我々のような運営者(NPO法人インビジブル)、そして多くの市民などさまざまな方がいます。

そうしたさまざまな人たちも含めた中で、「Relight Project」は誰のもので、どういう考え方のもとに進めていこうとしているのか。今年度から事務局を担当しているNPO法人インビジブルの林と菊池、アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画・ディレクターの森司さん、そして『Counter Void』作者の宮島達男さんらと一緒に話ができればと思っています。

その前提を踏まえたうえで、二つ目のトピックが「再点灯」、そしてその先に向けてといことです。いよいよ『Counter Void』をどのような形で再点灯させるのかということが、おぼろげながら見えてきました。具体的なものが見えてきた中で、どのように歩みを進めていくのか話していきたいなと思っています。

「Relight Project」は誰のものか

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作家・宮島達男

:では早速ですが「Relight Project」は誰のものかということで、2011年3月13日に『Counter Void』は消灯されました。この話を宮島さんに振りたいと思います。

作品が消灯し、そして再点灯するなかで、どうして宮島達男主体のプロジェクトでやらないで、「Relight Project」、はじまりは「光の蘇生プロジェクト」で進めようとしたのかお伺いしたいです。

宮島達男(以下、宮島):もともとこのプロジェクトをやろうとしたときに、何のためにこれはやるのかを考えたんですよね。それは、「宮島達男」というアーティストのためなのか。いや、そうではないはず、と思ったんです。

『Counter Void』の消灯は東日本大震災が起きたことがきっかけで、鎮魂のために作品を消したんです。消して、点ける理由がないからそのまま3年が過ぎていったわけなんです。

次第に再点灯してほしいという声が聞こえはじめたとき、「何のために再点灯するのか」を考えたんです。3.11以降いろんな問題が塗り替えられてきました。人間の生き方とか、エネルギーの問題もそうでしょう。それから、アートのその後の役割もだいぶ変容してきたのではないか。

そういうことを考えた時に、いちアーティストのためだけに作品を再点灯するよりも、3.11以降を生きるすべての人たちにとっての再点灯でなければならない。であるならば、再点灯なり何らかの形のアクションは、すべての人たちのためにアクションが行われなければならないし、それは宮島達男がやるより、むしろそれを欲している人々が欲している形で実現化していくのがふさわしいのではないか。

なので、これは新しいアートのプロジェクトの形なんだと思うんです。これまでのアートプロジェクトは、アーティストが大声で張り上げて旗振って「ここに集まれ、やるぞ」と進めてきたのがアートプロジェクトだったと思うんです。それよりも、もう少しネットワーク型のプロジェクトで、誰が主役、誰が脇役というのはまったく関係なく、むしろアートワークそれ自体を酒の肴にして、みんなでワイワイとそれをいじくっていく。それで、なんかアクションがおきていくのを期待したんです。

だから、最初から僕はなるべく奥へ引っ込むような形で、なにかサジェスチョンをしながら、どうしても出なければいけないところだけは出つつも、なるべく奥へ引っ込むような形でプロジェクトを進めていただいていた、というのがはじまりから今日まで変わっていない態度です。

「点灯」それ自体は簡単なこと

:2014年の6月か7月に、テストで作品を点灯させたら無事に点灯したじゃないですか。だから点灯させること自体は、極端な話なにも難しいものではないんです。スイッチを入れれば終わるんです。でも、それをあえて、自分の意志で点けたいから点けるという選択ではなく、どういう風に点けるかを周りの人に委ねてますよね。

個人のアーティストとして考えたとき、自分の作品が思ったように動かなかったりするわけじゃないですか。以前、宮島さんがインタビューでお話していたように、昔の人が作ったアート作品があって、それを市民が復活しようとすることは、賛否両論あるにせよ作った人は死んでいる。でも、宮島さんはまだ生きています。生きている中で、自分がいろんなコンセプトを込めて作った作品が、どういう風になるかわからない委ね方に対して、個人として何かフラストレーションなり葛藤みたいなものはあるのかないのか。それとも、そんな考え方自体をもはや超えていて、作品を再点灯するにはそれ以外の術しかないという考え方なのでしょうか。

宮島:アート作品は、たぶん作者にとっては娘みたいなもので、生み出した責任はあるんだけれども、生み出された娘はいつまでも親父の手の中にはいない。独立して、社会の中でそれぞれの人間関係を作って生きていかざるをえない。

だとすれば、親が娘に対して青年になったとか成熟したなど、とやかく言う権利はもはや存在していないんですよ。自分のものだと考えるのは、それはもう過保護にしか過ぎない。そういうものになることこそ、パブリックアートのパブリックアートたる所以だと思います。

:じゃあもう、自分の手から離れているということですね。

宮島:そういうことです。だから、それを受け取って、パブリックアートとして享受して楽しんでいただいている人たちが、このようにしたいと合意ができて、そのようにすればそれはもう彼女のピュアな宿命というか、人生なんだと思います。

:宮島さんは「時の蘇生 柿の木プロジェクト」(以下、「柿の木プロジェクト」)など他のアートプロジェクトもされています。「柿の木プロジェクト」と、この「Relight Project」における宮島さんの中での違いはなんですか。

宮島:「柿の木プロジェクト」の代表はやっていますけど、割と似たような形態をとっています。つまり、自分が全部オーガナイズするのではなくて、実行委員会の組織を作り、みんなで合議した上でやっている。ただ、代表は務めています。それは、プロジェクトに対して責任を伴うという問題がそこには横たわっているから。だから、なにかあったときは全部自分が責任を取るという意味です。

:スタンスとしては、近いということですね。

宮島:かなり、近いところではあります。

:この「Relight Project」において、作品である『Counter Void』自体の所有者はテレビ朝日さんです。六本木の一角という場所、作品の運営や代表権や決定権なども含めて、外部に委ねていく。これは宮島さんにとっても、一つのアートの形として違うステップ、違うステージになるような気もします。宮島さんから見たアートはどういったものでしょうか。

宮島:すべてのアート作品は、観る人が存在してはじめて成立する話で、パブリックアートにおいても、観る人たちがそれをいかに利用するかで生きているのか死んでいるのかという話になると思います。この『Counter Void』も、観る人たちが必要であればそれは存在するし、必要でなければそれはないに等しいんです。

そういうアートと観客の関係、個人とアートの関係がこれからのアートの姿なんだと思います。だから、それを受け取った一般市民がどう活用していくのか。その人たちの想像力にかかっているので、そういう意味ではもうすでにアートを利用しようとする個人は、アーティストなんです。何も作っていないとしても。これが、「Art in You」の根底にある考えです。

多くの人の支持と関わりをもつ「余白」

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NPO法人インビジブル菊池宏子

:菊池さんには、去年はゲストとしてトークイベントで講演してもらいました。自身もアーティストとして活動しながら、コミュニティデザイナーとして、日本だけじゃなくて世界各地でコミュニティを巻き込んでプロジェクトを作っています。

今回、このプロジェクトの運営チームに入ってもらい数ヶ月が経ちました。去年から今に至るまで、プロジェクトの変遷や、まさにいま宮島さんの言ったことに対してのリアクションだったり、森さんに対して聞いてみたいものはありますか。

菊池宏子(以下、菊池):そもそも私が関わりたいと思ったきっかけは、まさに宮島さんがおっしゃったような、アートというものが一つの装置であるということを、すごく明快に宮島さんが言葉にしていることに非常に魅力を感じているんです。

自分の作品をどの立ち位置でいつ手を放すのかは、非常に曖昧なところ。そこを意志として見せているプロジェクト型のアートが、たまたま私がどっぷり浸かってきたものとの関連が強いと感じたんです。また、宮島さんが「作品を、使ってくださいよ」と公言する態度に関して、日本でそうした態度を表明していることを聞いたことがないな、というのが率直な感想です。

宮島:アメリカではあるってこと?

菊池:「使ってくださいよ、どうぞ」みたいな感じは実際はあまりないかもしれないけれども。動きとしてアートをツールと捉えた運動体みたいなプロジェクトはあって、「ソーシャル・プラクティス」「ソーシャリー・エンゲージド・アート」などと言われたりしています。

そこの原点にあるコミュニティ・アートは、アートというものの創作性を追求するのではなく、アートはアーティストが作るにせよ、その機能をもとに街をどう活性化させるかとか、アートが作品だけで終わらないある種の波紋みたいなものだと捉えています。そうした話は、10年や20年くらいの長い歴史があるんです。

別にそれは、日本にはないって言っているのでは決してなくて、そういうことを改めて意思表示として、ましてやすごく政治的な意味で社会に対する彫刻を提示していこうとする活動に対しては、個人的にもすごく興味があります。じゃあ、ここからどういう形でプロジェクトにしていくのか、その難しさも実際に関わってみて思うこともあります。

宮島:プロジェクトを焚きつけたのは森さんなんだけど、その辺の焚きつけ方と、社会においてそうしたアートのあり方がなぜ必要だと思っているのか。そのあたりどうですか。

森
司(以下、森):もともとは、宮島さんと東京都内に作品を作ろうと思って話を持ち込みました。以前、アーツカウンシル東京ではアーティスト・川俣正さんと数年間プロジェクトをしてきました。そのプロジェクトが終わって、次に国際的に著名なアーティストで東京都内で一緒にコラボレーションしてくれるアーティストは誰かを議論していくなかで、宮島さんしか思いつかずお願いしたら、最初は「うん」って言われたんです。

そこでお目にかかり打ち合わせをしたら、だんだんと話をしていく中で「テレビ朝日の作品がね、いま消してるんだけどさ」みたいな話になる。「じゃあそれでいいんじゃないですか」みたいなところからはじまった感じです。

新作を作るよりも、社会的に地域資源となっているパブリックアートなのに、消されてしまい一旦なくなったものをもう一度見直そうとアプローチすることへの投げかけは、非常に面白く示唆に富んだ提案だと僕は思った。

そもそも、パブリックアートで朽ちているものを修復しましょうとかそういう次元ではない。点けようと思ったら今からでも点くし、逆に言えばテレビ朝日はなんでこんなに作品が消えていることを容認しているんだろうと思うくらいなんです(笑)。もうすでに計画停電もなければ、夏のクーラー何とかしましょうキャンペーンもない時期に「宮島さん、作品を点灯しましょうよ」って言えば済む。

宮島さんが、作品を消していることに対してなぜかこれほどまで辛抱強く付き合っている。それならば、地域資源をどう見ていくかを考えたとき、プロジェクトの作り方として宮島さんをトップにしたプロジェクトの作り方じゃない方がいいなと思ったわけです。

パブリックアートの再生は、多くの人の支持がないと無理だと思うんです。アーティストがどんなアクションしたかを伝えなきゃいけないけど、そのアクションした先にどうしたいのか、どうあるべきか。そのために、多くの共感を持つ人と、一緒に議論をしながら進めていくプロジェクトの進め方を試みたいと思った。

「柿の木プロジェクト」をしている宮島達男ですら、パブリックアートの再生をするのにこういう形はありじゃないのって言っているものの正体をつかもうと、ずっと分からないって悩んでた。やったことないことだから分からないことだし、僕は新しいチャレンジができたら面白いなっていうのがある。スタートから3年くらい経ってしまったけれども、まだ考えながら模索できるものはあると思っている。

だから、私たち二人にすごい明確なビジョンがあって、それをもとにこうするんだ、みたいなものは最初からない。関与してきた人たちが「ああじゃない、こうじゃない」って言いながら「面白そうね、そうだね」と言いながら進めてきた。

そういう意味では、先導を切って推進してきた感じはあんまりない。場は作ってきたしドライブする何かはしてきたけれども、アーティストがトップで立ったものじゃないのと同じように、僕自身もプロジェクトリーダー的に先頭を走ってやっているつもりはないんです。プロジェクトの一番後ろから、二人して伴走してる感じが正直ある。逆にそういう風になるように一生懸命準備をしてきた。

今までにない、わかりづらいアートプロジェクト?

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アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画・ディレクター森司

宮島:でも、それを容認してアーツカウンシル東京がお金も出して、こうしたプロジェクトを見届けようとしているわけですよね。こういう動きが、アート業界や社会に必要なんだと感じているからこそ、こうした活動を容認し予算をつけていったわけじゃないですか。その辺の感覚を共有したほうがいいのかなと思うんですよ。

僕も言ったように、わからなかったんですよ。でも何となく、これはすごく重要な問題じゃないかなって徐々に高まってきた。だから今明確に言えることは、これはとても重要な案件になっていると感じているんです。この、アートマーケットが主導しているアート業界の中や社会にとってね。その辺の感覚を、やっぱり言ったほうがいいんじゃないかな。

:うーん、どうやって言うといいんだろう。

宮島:なんで、今の社会にとってそれが必要なの?

:いや、ひょっとしたら、まだみんなに引き受けきってもらえていないかもしれない。

菊池:みんなっていうのは誰なの?

:多くの人たちといえるのかな。だから、どこを取ってアートプロジェクトだって言われると、非常にわかりにくい。

菊池:このプロジェクトね。

:うん。だから、ものを作るわけではなく、もっと言えば簡単に点くのに何やっているんだと言われるくらい、一番わかりにくいことにしているわけですよ。

菊池:このプロジェクトは、概念芸術的な観点から非常にアートプロジェクトらしいところもあるんじゃないかなと思っています。つまり、概念を作っているわけじゃない?

見えないものかもしれないけれども、発端としては『Counter Void』があり、みんなで再点灯しようと進める動きを後押ししてきた森さんがいて、そこに賛同してきた人もプロセス自体をどう考えるかという、非常に壮大なアートプロジェクトだと思うんです。私の中では、アートプロジェクトとして非常にすんなり落ちてきているところです。

宮島:それは、菊池さんがアーティストだからそれがすごくわかるんだと思う。林君はなんで関わったの?

:一番最初は、前任の運営事務局であるArchARTの代表から手伝ってくれと誘われたんです。そこがきっかけで少し手伝う程度だったんです。僕はむしろ「アートって何だろう」という考えのなかで、すごく大きな面白い試みだなと思うんです。

僕は大分県別府市の「BEPPU PROJECT」で以前働いていたんですが、アーティスト・山出淳也がやっている企画は、その地域の中にアーティストといわれている人が入り込むことで、その地域を違う視点で見せるかを考えているんです。先週の土日に別府に行ってきたんですけど、今回はもはやアート作品が重要ではなくて、ある種そこの装置として、その場所を体感するためのものとして作品があったんです。

今回のこのプロジェクトは、まさに森さんが言われたように簡単に点けようと思えば点く。そして、震災という話があるにせよ、すでにそこに存在しているものでもある。これをもとに、いろんなことを考えたりどういうやり方をするのかを、すごい時間をかけて形にしていく。

そこで生まれてくるものは、もしかしたら「再点灯」したことの喜びよりも、六本木という街自体のことに関心を向けることだったり、作品のコンセプトである「生と死」も含めて、個人個人のもっと大きなことを考えるきっかけになるのかなというところが、すごく面白いなと思うようになりました。だから、アートプロジェクトとしてというか、何か一つの企画としての面白さを見ているんです。

:さっき宮島さんに聞かれたことの答えで言うと、多分、そういう状況を作ることによって、アートプロジェクトそのものの更新性や、あるいはアートそのものを考えるプロセスとか、今まで手にしていなかったフィールドを立ちあげ、さらに新しいフェーズをクリエイションできる可能性に関する期待値だったんです。

だから、どこを面白がって関わるかは当事者の問題としてあって、こうじゃないといけないって役割がはっきりしていて、その役割をするために関わろうとする自明性がないゆえに「わけのわからないこと始めてますね」と言われちゃうのを前提としているんです。けれども、その分伸びしろはいかようにでもなっていて、それぞれの関心によってオペレーションができるし関わることができる。

そうしたなかに、インビジブルが明確な意志を持って入ってきたと僕は思っている。だから逆に言えば、こういうことやるんだ、と非常に合理的にゴール設定されていたり、やることが決まっていたら多分この二人はここにいなかったんじゃないかっていうのが、今の質問に対する僕の状況的な答えになるかな。

つまり、今ここにいるインビジブル以上の人たちや、潜在的にいる人たちが増えてくるプロセスをどう作れるかが、一つのアートプロジェクトとしてある。というようなところが僕のなかにはあった。川俣さんが、10年くらい前にコールマイン田川でアンビルドの塔のプロジェクトをして、建てないことを前提に準備をやってた。東京でやるときは「建てる前提でプロジェクト始めない?」って言ったから、実際に都内に作品が五つ建って、まだ一つ残っている。

今度は宮島さんは何か作るかなと思ったら、すでにあるものをもう一度再生させるという違うアプローチで素敵な話を持ってきてくれた。チャレンジする余地がたくさんあって、多分やったことないはないもの。だから面白いなと思ったのが正直なところです。

だから、チームメイキングするためにあらゆる人を呼びこんだのには意味がある。これまではアーティストとアートマネージャーだけとか、非常に狭い人間が関与してアートプロジェクトができると思ってきた。それは、本当のやり方を知らないんじゃないかといった仮説を立てたんですね。だからこそ、お金を作れる人が入り、エスノグラフィー的に記録を作れる人も入り、コミュニケーションデザインできる人が入り、というあらゆるジャンルの人間が関わることによってまったく違うアクションが形成されていくとしたら、それは非常に面白いプロジェクトだなと思った。

再点灯はかなり先の設定になるだろうと思っていたから、その前の基礎工事的な、チームビルディングのところにやけにエネルギーを使ったのも、そういう理由のような気がします。

「リアルに生きている」から変化し続ける

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宮島:僕も、この2,3年は全く予想だにしていなかった展開でした。もともと、このプロジェクトも再点灯がキーワードで、スタートしたじゃない?

それが、今のフェーズはテレビ朝日も含めたあの界隈が再開発に関係するようになり、作品も取り壊される可能性が高くなってきている。そうすると、再点灯する意味があまりなくなってきたので、じゃあ、どうやって終わりに向かっていくのか。

つまり、取り壊されるときに向かって、この残りの数年をどんな風に『Counter Void』を使っていったら『Counter Void』が成仏できるんだろう。そういう、「おくりびと」な心境かな。だから、変な言い方になるけど、パブリックアートを上手く死なせてあげる、おくってあげるプロジェクトに、今まさに変容しつつある。これがね、全く想定していなかったんですよね。

菊池:いつくらいから、その辺って「あれ、もしかしたら」って思いましたか?

:テレビ朝日の方が再開発の話を伝えに来てくれたから。

菊池:もうそれが一番最初にあって。

宮島:いきなりばっと。

:我々はちゃんとプロジェクトとして作品を利用するための申し入れをしたんです。正式に「これを素材にアートプロジェクトを始めてよろしいですか」「かまいませんよ、どうするんですか?」「再点灯しようと考えています」「あ、いいですね」と。

そのときには、向こうもテレビ番組っぽく、いつまでにどうのこうのみたいな勢いのいい話になって。それが、六本木のあのエリアの再開発が大筋でまとまりはじめてきて、プランを描かなきゃいけなくなった時にちょうど作品があるあたりが開発の中心になるから、あの作品の存続は保証できかねるという話になった。そうした前提を承知の上で、プロジェクトを進めてくださいっていう連絡があったんです。そして、その申し出の解釈をどうするかと考えたとき、このプログラムのこれまでのところの大きな局面を迎えた。

菊池:確かに、ターニングポイントではありますよね。

:それもあって、端的にいうと再点灯プロジェクトの”Relight”っていうところで、当時は皆さんでお金を集めて「1億円を集めて再点灯しよう」みたいなことを言っていた方向から、宮島さんが言ったみたいに今ある作品をどういう形で世の中に存続させて、終焉を、有終の美を飾る形にしていくか、とプロジェクトの目的が書き換えられたですね。もしも、もともと僕がすごく明確な目的を持っていたら、そうした大きな転換を迎えた時点でこのプロジェクトは失敗に終わり、中止を決めていると思うんですよ。

宮島:確かにね。

:駄目じゃん、ここ無理だよね、みたいな。

宮島:使わないんだったら、はい、じゃあ終わり、みたいな。

菊池:私が参加しようと思った理由は、点く点かないを考えるプロジェクトという認識でいたから、別に再開発が起きることがあんまり大きな問題ではなかったんです。逆に、考える要素が増えたな。期間がちょっと限定された中で、じゃあその議論をするプロセス自体をどう考えていくか、また違う面白みがでたのかなぐらいに思っていたかな。

:そう思えるメンバーが参戦して、中核にいたことがこのプロジェクトの救いです。そうじゃなかったら「えっ、森さんたちは点灯させるために私たちを集めたじゃないですか。そんな保証もなくはじめたんですか、あなたたちは、再開発で早晩あれがどうにかなるなんて情報すらもたずにやったのか」みたいな感じに言われても不思議ではない。

でもそうではなくて、そうなってしまったときに、いったん立ち止まり、これからどうしようかをきちんと議論をした結果、今は新しいプロジェクトを始めようとなっている。それがプロジェクトフェーズの変化でもある。関わってもらおうとする、呼びかけの呼びかけ方も変わるじゃないですか。お金を募るために多くの賛同者を集めなきゃいけなかった方向性から、そこはなくなった。

そうすると、もっと違う意味でこのプロジェクトの一番ピュアなところがより浮き彫りにならざるを得なくなった。都市開発のプロジェクトがリアルに攻めてきたことによって、時間的な時限がついた。あと、やらなきゃいけないこととやれることが非常にはっきりしてきたことで、プロジェクトとして追い詰められたというか、予見性によってさらにいい方に振り切ることができる。

宮島:だから、本当の意味でリアルに生きているプロジェクトになっているんだよね。現実を引きうけてプロジェクトの方向性が変わっていくことは、通常のアートプロジェクトのあり方ではないからね。まさにリアルに生きている。

【2/3】に続く

[開催概要]
日時   :平成27年9月15日(火)19:00-20:30(開場 18:30)
会場   :3331 Arts Chiyoda 3F アーツカウンシル東京ROOM302
スピーカー:宮島達男(アーティスト)、森司(東京アートポイント計画 ディレクター)、林曉甫(特定非営利活動法人インビジブル)、菊池宏子(特定非営利活動法人インビジブル)