開催日:2018/3/11(日) 14:46
2018/02/08 経過報告1
2018/03/04 経過報告2
2018/03/09 経過報告3
2018/03/11 経過報告4
昔も今も言われ続けているのは、「どうしてそんなに自信がないんだ」ということ。
自己肯定感の低い人にとって、
自分がやりたい!と感じたことをやり抜くことはなかなか難しい。
勢いでえいやっとはじめられても常に不安が付きまとう。
大学卒業とともに演劇の現場に飛び込み、
すこし特殊な社会の中で自分の居場所をなんとか確保しようと走り続け、
いまわたしが取り組んでいるのは、作品を世に送り出していく仕事。
自分たちが対峙している現実にある多くの疑問や憤り、興味のありかを探って
アーティストとともに演劇などの表現を通して作品を世に送り出す。
ありかを探るのに自分たちの知恵だけでは、、、と思えば、
これをきっかけにしてさまざまな分野のひととも出会う選択もできる。
好奇心に向かって様々な人と一緒に思考することができる、
こんな素敵なことはないと思う。
ただ、いつもわたしがぶち当たるのは「自信のないわたし」なのだ。
作品は馴れ合いでは作れない、と思っている。
勢いは違えど、意見をぶつけあわせることもある。
こんな時はかなりの勇気を振り絞るのでエネルギーの消費量ははんぱない。
どうしても、言えない、伝えられない、そんなときに登場するのが自信のないわたし。
今回RelightCommitteeに参加したのは、
この自信のないわたし、に向き合うことに時間をかけて、
自分の「軸」をしっかり掴むことが目的だった。
平凡
企画を考えるときに、いつも大事にしているのは、
自分は平凡である、という意識。
類い稀な才能をもち、千里眼でピカリと光る才能を見つけ、
世の中をあっと言わせる作品を作っていく人もいるだろうが、
平凡だからこそ多くの人と共有できるものが作れるのではないかという期待がある。
自信がない割にこの仕事を続けていられるのは、この期待があるからだ。
迷いの森へ迷い込む
いざActionを考えようとなって、このわずかな期待をもとに
一瞬で終わるような高揚感ではなく、
日常に穏やかに作用してプラスな感情を持続的に作り出す、
そんな何かを作っていけないかと悩み始め、迷いの森へと迷い込んでいくのだった。
持病によって観劇へのハードルが上がったこと、
他人と向き合うことや考えを表現することになかなか慣れない悩みなど
自分のマイナス感情を起点にしたActionのアイデアをもとに、
RelightCommittee事務局の菊池さんと、林さんとはじめての面談。
ふたりとの会話で自分のActionがまるで「後悔」のかたまりだということに気が付いた。
過去を振り返って、その後悔を払拭するような、後ろ向きなもの。
未来に向けて作用すること
視点をずらしてユーモアを
今度はこれを加えてもう少し考えてみよう、
さらに悶々として、ぽっと出てきたのは「おまじない」だった。
これは自分が料理教室に行った時の体験がもとにある。
わたしの通っていたそれは、10名程度のグループで
半年のうち月1で大皿料理を何品か作っていくもので、
素材と向き合って、それぞれの特徴をよく理解しながら、進めていくものだった。
ワイワイと料理をいっしょに作っていく雰囲気は楽しく、そしておいしく、
レシピを持ち帰れば、その時の記憶を思い出してとても穏やかな気持ちになることができた。
おまじないは自分の成功体験やよかった、と感じた瞬間を再び起こすために、
その時行ったことを再現するものという考え方がある。
プラスな感情を日常に繰り返し起こす仕組みとして、おまじないは最適ではないか。
わたしが料理教室に行ったときを思い起こして穏やかになるのであれば、
他の人たちもそれぞれ自分オリジナルのおまじないを持つことは可能なのではないか。
この考えをRelightCommitteeメンバーのみんなに共有したときに
おまじないという言葉に反応する人は多かった。
ただ、いっぽうで楽しい記憶よりも、
自分にかかっていた呪いや呪縛など(兄弟や親との関係などのことで本気のやつではない)
マイナスな話をする人が多いことが気にかかっていた。
また、ここからが迷いの森から抜け出せなくなって、
おまじないの定義を考え始めたり、フォーマットに囚われてしまった。
こういうときは、だいたい根幹の大事なことを失っている時だ。
迷いの森から抜け出す!
RelightCommitteeは数か月をかけて、
レクチャーやゲストとのトーク、参加者との対話など
様々な方面から自分の凝り固まった頭に刺激を与えてくれる。
この刺激を持って自分が社会と認識するものに対して何ができるか、考えていく。
これはあくまでActionであって、企画ではない。
すぐに不安になって他人にとってどうかを考えてしまうが、
まずは自分にとってどうか考えることが私には必要だと思った。
あえて無理に他者と向き合うことをやめてみる
まず自分と向き合って、自分に自信をもってみる
こうやってようやく他者と向き合ってみる
迷いの森からそろそろ抜け出せるような気がしてきた。
自分を呪いから解放する
おまじないについて、まだどうしたらいいかわからずに悩んでいた時に、
ほかのRelightCommitteeのメンバーから、まずは荒川さんの呪いをとくことが最優先、という言葉をもらった。
(ちなみにおまじないは漢字ではお呪いと書く)
自信を持つ、つまり自分を信じることを見直してみようと思った。
何か功績や評価を得ることとは違って、
誰かのためでもなく、立場や役割を抜きにして、
純粋に自分のために、自分の価値を見直す作業。
これがわたしの呪いをとくことなのではないか。
まだ迷いの森を抜け出せていないのかもしれないが、
せめて道のあるところへはすこしずつ、近づいてきたように思う。
今回のActionでわたしは、
自信を取り戻す方法、とタイトルをつけて
自分が大事に思っている人へ誉める言葉を詰め込んだお守りを贈るアクションを実行することにした。
自信のない自分への向き合い方や、どうしてこの形をとるのか、
RelightCommittee 事務局の菊池さん、室内さんに相談したことも含めて
ここに残しておこうと思う。
誉めることの効用
RelightCommitteeに参加して数ヶ月たつけれど、
最近とかく誉めることが大事だなと強く感じている。
人はやはり言葉に左右されてしまうし、意識してしまう。
それに、言葉は発した途端に漂っていた何かを定義付けてしまうから少し怖い。
何か行動を起こしたとき、結果としてプラスな面もあればマイナスな面も発生する。
行動を見守る側が改善したい!という気持ちでマイナスな面ばかり指摘してしまうと、
プラスだったはずの面にも影響して出来たはずのことさえできなくなってしまうこともあるのではないだろうか。
マイナスな面なばかりを取り上げれば、それは呪い、
プラスな面を取り上げれば、それはおまじない(お呪い)。
わたしはこれから、おまじないを唱えようとしている。
わたしの唱えるおまじないとは
今回のActionを通して、わたしは、
わたしの大事にしたいと思っている人へ向けて、
誉める言葉を贈りたいと思っている。これがわたしの唱えるおまじないになる。
やっぱり誉められるとうれしい、そして、自分にちょっと自信がつく。
誉める、という行為は誉める側の自己満足的な側面はある。
だからこそ、そもそも自信のないわたしは、こんなわたしに言われても嬉しくないだろうと
なんだか後ろ向きにとらえてなかなか言い出せずにいた。
けれど、今回をきっかけに一歩踏み出して相手に関わってみる、
いいなと思っていることを伝えてみようと思う。
自分の気持ちを込めやすい形を考えた時に、
直接伝えるのはあまりに気恥ずかしすぎて上手く出来ない予感がしたため、
おまじないをいつでも感じられるように、 お守りに包んで贈ることにした。
自信のない自分とどう向き合うか、という課題に対した、
わたしなりの自信のない自分への向き合い方だと思っている。
贈り物としてのお守り
RelightCommittee事務局 へActionの相談をしに行った日、
室内さんが家族が買ってきてくれたというお守りをプレゼントしてくれた。
呪いやおまじない、お守りについてさんざん
このアクションを通して話してきたが、実際は全く信じる方ではない。
(わたしは今年前厄らしいけれど)
この神社がすごいから信じる!というよりは、
他にも渡す相手がいるなかで、わざわざわたしに渡してくれたということが
そもそも嬉しい。その気持ちだけで元気が出る。
わたしがやろうとしているのはまさにこういうこと。
ひみつ
最初の案では、ワークショップ形式でこのお守りを作ることを想定していた。
それは料理教室で味わったいっしょに何かを作る時間というのがとても心地よく、
今回もそんな場を設ければリラックスして作ることができるかなと思ったからだ。
ただ、RelightCommittee事務局の菊池さん、室内さんから
誰かを思うことは、ある程度閉じて行ったほうが込められる思いは強くなるのではないか、
そして、それだけ思いを込められていれば効果も強くなりそうとの意見をもらった。
また、ワークショップ形式にした場合、
わたしがファシリテーターとなってしまうのではないか、ということを懸念してくださった。
確かに、そうだ。
Actionは企画ではない。
わたし、自身、が惰性で過ごすだけでなく、
そこから一歩進んで行動を起こせているか、が大事だと私は理解している。
だからこそ、今回はワークショップ形式ではなく、
私個人と相手だけの関係、信頼関係のなかでActionを進めることにした。
はとめ
今回作るお守りは、はとめで止めて簡単には 中が見られない作りにする予定だ。
受け取った人は本当に自信がなくなった時にだけ中の誉め言葉を見てもいいし、
むしろ開けずに受け取った時の気持ちだけを留めてくれてもいい。
自分の好きなタイミングで開けてもらえる形にしようと思う。
Actionを考える過程でなぜおまじないや呪い、お守りは信じられてきたのか、
その根拠を調べたことがあった。
とかくはるか昔から呪術的行為があったことはわかったが、
結局何が原因・根拠となって人々がそれを信じていたのかはわからなかった。
けれど、今思えば信頼関係、この人が言うから違いないという思いがあったからだ
というシンプルな答えにたどり着く。(個人的見解ですが)
様々なバリエーションがあるから一概には言えないと思うが、
呪術師は日常の悩みや不安を取り除く
精神科医のような役割も担っていたというから余計に納得する。
わたしに呪術師ほどのパワーがあるかはちょっと分からないけれど、
とびっきりに思いを込めて(重い?)作るので、受け取る相手に思いが届くと良いなとは思う。
3月11日14時46分という「時」
作ったお守りは3月11日に合わせて贈ろうと思っている。
この「時」を刻みたいからだ。
わたしはあのときは東京の、下北沢の、稽古場にいて、
特に大きな被害にも合わず、翌日も現場にいた。
それでも家に帰れなかったあの日は家族にすごく会いたかったし、
自分がいま稽古場にいる意味をムキになって探していた。
それからずっと、
ただ何となく、受け取るがままではなく、
なぜ自分がこれを選択するのか、続けるのか、自分に問いかけるようになった。
今回RelightCommitteeに参加した理由のひとつにもなる。
ただ何となく生きていくことも出来るのかもしれないけれど、
自分をアップデートさせながら生きていくほうに少しの希望を感じる。
伝える
SNSを見てつい話したような感覚になったり、
いつでもメッセージをやり取りできるような現代だからこそ、
なんだか、その人をわかったような気になってしまう感覚があるという話も、
RelightCommittee事務局の菊池さんと室内さんとした。
直接、でないコミュニケーションはそれだけハードルが低い。
だからこそ、気軽でいいという側面はあるかもしれないが、
壁を乗り越えてまで伝えるからこそ、相手にも深く伝わるのではないか。
最近、数年前にわたしがワークショップで書記をお願いした後輩から、
あの時をきっかけに今の仕事が出来ているから本当に感謝してます、と言ってもらったり、
昨年いっしょに仕事をした後輩から、準備してから仕事を渡してくれていたので本当に助かりました。
など、直接伝えてくれる機会があった。
どちらも、なんだか忘れられない。
そうやって何年越しにも壁を越えて伝えにきてくれるのは、それ自体が本当に嬉しい。
これをまじないとして、わたしも頑張ってみようと思う。
ありがとう。
いよいよActionの日が近づいてきた。
ほかのメンバーの頼もしさを日々感じながら、
3月11日に向けて活発にやり取りが交わされると
まるで祭りの前のような慌ただしさを思い出す。
わたしも当日までの記録をここに追記しておく。
試作品作るデー
買い出しから、お試しまで
誉めの記憶
まずは、贈る相手の 誉めポイントを書き出すことから始めてみた。
なぜだか顔写真が必要な気がして、いろいろと見返す。
写真を見ていると不思議とその時に感じた、
あの言葉はよかったな、あの服は可愛かったな、など
その時にいいな、と感じたことをセットで思い出す。
つい思い出に浸りすぎる。
手紙の下書き
お守りをただ急に送ってもびっくり、なので、
いっしょに手紙を同封しようと思って、まずは手紙の下書きをしてみた。
ひさしぶりに書く手紙はLINEやSMSのように画面上で見るには長すぎるかななど、
余計な心配をすることもなく、
その人の顔を思い浮かべながら言葉の選択をする。
お試し
今回のお守りは分厚くならないようにする。
そのため、素材は色々悩んだが紙製のものにすることに。
紙選びは色や素材の選択で悩み、
試作品はひとまず折り紙で折ってみるも上手く行かず、
折り続けて机は紙だらけに…
呪術師もたいへんです。
いよいよ本物作るデー、贈るデー。
全人生をここにかけるわけじゃないという菊池さんの言葉を思い出すも、
祭りの前のようにそわそわとする数日。
3月11日
2011年の東日本大震災以降、
どう過ごすか、毎年悩む日になった。
毎年そわそわしながら、でも何も出来ないまま、過ぎてしまう日を
今年はActionを実行する日として過ごすことに決めた。
震災以降、他からの多くの誹謗中傷を含む反対や
他からでなく自分自身から生まれた不安と向き合い、
震災という現実から生まれたさまざまな感情を受け止めながら、
社会に対してプロジェクトを起こすなどActionを続けている人には本当に頭が下がる。
決めたと言っても、今年もやはりこれでいいのか悩んでいるが、
尊敬する人の自分がやらなきゃ何もはじまらない、と言ってくれた姿を思い出しつつ、
自分のActionのためこれから郵便局へ向かう。