第一部:「言語化すること」の大切さ
自分が生きる上でこれがキーワードとなることに気づいたことが、Relight Comiitteeに参加したことによって得た最も価値のある財産だった。
僕は言語化が好きだ。わからないこと、はじめてやること、相手が考えていること。様々なことをイメージでふわふわととらえるのではなく、かっちりとした「言葉」に落とし込む。このプロセスをどんな瞬間も行っている。
言語化できないと苦しいということに気づいたのは、2017年8月25日に行われた第2回の授業がひとつのきっかけだった。はじめて挑戦する粘土デッサン。バックグラウンドを全く知らないモデルの方を、まずは情報が全くない状態でデッサンする。このとき自分はなにも表現することができず、自分でもしっくりこない作品が生まれた。ほかのメンバーは情報がない中、目から入ってきた肉体の質感などを頼りに表現をしていて、歯がゆさがあった。その後、全員でモデルの方を囲み、自己紹介が行われ、略歴、いまどんなことをしているのか、どんな性格なのかといったモデルの方に関する言語情報を与えられ、デッサンに再挑戦。ここで1回目とは打って変わり、表現したいことが湯水のようにあふれてきた。アートをやっているモデルの彼女。映画に出演し相撲の演技に挑戦していること。その意志の強さを表現することに打ち込むことができた。
もう一つ決定的なものがあった。10月にある機会があって、「折り紙でガーベラを折る」ことに挑戦したことだ。Youtubeにおり方の解説動画があがっており、それを見ながら真似して折ればだれでも折れます。と言われ挑戦してみたがさっぱりうまくいかない。3回ほど新しい折り紙を無駄にして、なぜうまくいかないのか一回分析してみようと、真似するのをやめて動画を通してみることにした。すると、いつも詰まっていた紙の頂点を折り返していく部分が「完成形となる花の頂点を8つ作る」ための工程であることに気づいた。それに気づいた瞬間、さっきまでさっぱりうまくいかなかった部分ができるようになったのである。
この2つのきっかけから、自分は「言語化ができること」=「理解し、行動できること」ということに明確に気づくことができた。思い返してみると、いままでできなかったことはすべて言語化がうまくいっておらず、逆にできるようになったときには必ずそばに「うまい言語化」があったのだ。
そしてこの「言語化」というものが自分だ!と表明するようになると、それが面白いと言われることとなる。
この反応がアクションへとつながっていく。
自分が言語化するプロセス。言語化するために誰かの話を聞くプロセス。僕に興味を持ってくれるひとたちからの様々な相談、疑問。これらを対面で行い、直に話すこと。
僕にとってはなんのことはない。毎日行っている行為なのだが、それをすこし大層にしてみる。
「徹子の部屋」ならぬ「日向の部屋」である。
それをもっと広範に行うべく、”ココナラ”、”Timeticket”でサービスをはじめることにした。
僕のアクションは
「あなたのできないこと、聞きます」