2018.3.11. アクションの実施 〜Runの軌跡〜
小海線(八ヶ岳高原線)の小淵沢駅から八ヶ岳の裾野を東から回り込む。
目指すは小諸駅。
小淵沢駅8:05出発。
20代の10時間マラソンで経験した66キロの距離を超える未知の距離。
赤い橋。標高が高いだけありまだ雪も所々に残る。
ひたすら登る。
5時間経過、28.7キロ。コンビニで軽く昼食。
野辺山から望む八ヶ岳。
小海線は単線。日が落ちてくると寒い。
フルマラソンの距離をやっと超える。
壊れていく身体。ひび割れていく。
まもなく小海駅。今回のアクションのゴールが決まる。
思考することを手放すのではなく自由なる思考を受け入れる。
走ること(身体性)に意図を求めずにただ自然体で在ること。
9時間20分に及ぶアクションも終わり。走破距離は50キロ。
はじまりのはじまり。アクションは進化していく。
2018.3.10 前夜 〜始まりの始まり〜
Beyond the road
2018.3.7 タイムリミット。
納得のいくアクションを描けぬまま、約束の日を迎える。
思考のスパイラルから抜け出すきっかけとして「走る」ことを決めておきながら再び不自由な自分がここにいる。
とにかく走ろう!
今の体力、いろいろな状況を受けとめた上でその日に走ることにした。
走ることは身体の移動。
前のめりになっても転ばないように前に足を出す。
足が出なくなれば転ぶまでだ。
転ぶことの恐れ、痛さ、恥ずかしさ。
様々な感情が渦巻いている。
試しもしないでできない理由を考える人にはなるまい。
20代の頃の自分に言い聞かせていた。
アクションは2018.3.11.
舞台は八ヶ岳。
小海線の小淵沢駅から小諸駅への一人旅。
70.6キロの未踏の距離へ。
2018.3.4. タイトルを変える。
「トンネルを掘る」との言葉に絡め取られている自分。
内へ内へと向かい、思考することから抜け出せなくなっている。
昔から「思考的思考派」「内向的」と言われていて、おそらく見えている自分の一面であると自覚もしている。
2年前の冬、たまたま手にした雑誌をきっかけに20代の後半に走ったフルマラソンにもう一度チャレンジしようと思い立ち、昨年秋の2回目のチャレンジでなんとか完走を果たした。
日常的にとは言い難いが走り始めたことで何かが少しずつ変わり始めている。
身体が少しづつ軽くなり、それに伴い心も軽くなる。
しかし一度のアクションで解放されるものでもない。
日常にあることが大事。
今回のアクションはその通過点。
決めているのはこの春に未知の距離に挑むこと。
2018.2.16 描けぬトンネルの青写真
昨年の11月、「アートトンネルを掘る」と題して発表した私のアクション。
それから3ヶ月。未だにその青写真が描けないでいる。
その一方ですでにアクションはリライトコミッティへの応募の前からはじまっているとの想いがあり、ひとつの期限を決めてあらためてこの場でアクションを起こすことへの違和感が出てくる。
そんな自分に向き合って来たここ数ヶ月。
なぜ、描けないでいるのか?
最近になってやっと気づいたこと。
一方の起点からトンネルはすでに掘り始めている。
過去の自分という起点。
掘り進める中で随分といろいろなものが出てきた。
貫通するはずの地点の近くまで来ている感覚がある。
今までは掘り進める二つの起点について八ヶ岳と都会という場所に縛られていたように思う。
場所の問題ではなくどうやら時間軸の問題だったのではないかと。
未来という起点。そこにすでにある可能性。
誰にもあるもの。
時間軸の中でその起点をどこに定めるかは人ぞれぞれ。
「アートトンネルを掘る」という言葉がふと浮かんだのは意識の深いところで邪魔している山(障害物)を漠然と感じていたからだ。
そこに風穴を開けて山の前で立ち止まっているものたちを通らせてあげたい。
気がつけばそこに立ちどまっていたのは過去と未来の自分。
貫通すれば握手ができる。どちらも分断されていた私。
受け止めてあげられる日も近いような気がする。
30年近く「越境する力」を標榜して来たこれまで道のり。
震災のあった2011年はいらぬものをたくさん纏っていた自分を解体しはじめていた時期でもある。
身軽になった分だけ違うものを背負う覚悟もできていた。
3.11の様々なエネルギーが私にもたらしたものがある。
恐れを手放し流れてみること。
流れてみると風景が変わり環境が変わる。
ただいつまでも流れているだけではいけない。
もう一方の起点から意思を持って掘り進めること。
それが決定的にかけていた。
貫通すれば循環がはじまる。
「アート・トンネル」は循環を生み出していくバイパス。
新しい流れが生まれ、そこに美しい形ができることを信じている。
【Design in Nature】&【No Trace】