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自分のことを忘れていたことを忘れていた

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荒生真美

静岡県浜松生まれ。大学にて芸術文化、おもに西洋美術を学ぶ。「水の波紋」展でボランティア活動を経験し、1999年より「時の蘇生」柿の木プロジェクト実行委員となり現在に至る。メキシコの生活により、開かれたアートに強く関心を抱くようになる。二児の母。下の娘が超未熟児で生まれ、生と向き合う日々。生きること、それを彩るアートの力を実感し、繋ぎ役を模索中?

開催日:2018年3月11日(日)東日本大震災発生時刻を迎えてから(14時46分18秒)
会場:六本木ヒルズ カウンターボイド前

Action for LIFE,16 December 2017

〈社会彫刻家としての決意〉

社会彫刻家としての形は人それぞれ。
私はどんな社会彫刻家として存在するのか、したいのか。

人と話すことは、エネルギーがいる。
言わなきゃ良かったと思うこともある。
自分をさらけ出さなければならない。
相手が同じ温度でぶつかってくるとは限らない。

でも 私は怖がらず、自分を閉じずに関わっていく。

そして 権力を持たず、媚もせず、フラットであること。

〈自分にとってのアート〉

私にとって、アートとは、生き方を支えるものである。困難な事に対して、多角的な見方やマインドの上げ方、揺さぶり方を提示するもの。

〈実感から生まれた生への意識〉

私の過ごしてきた時間の中で、大きな大きな経験は出産である。一人は順調に過ぎた出産、一人は早期の流産、そして一人は困難な出産と稀有な育児。

流産をしても、致し方ないと思っていた私が三人目の子どもを宿した時、イメージしていたことがイメージ通りにいかなくなった。

妊娠わずか三ヶ月。安定期に入るという時に集中治療室生活が始まる。家にはまだ幼稚園児の息子を残して。

妊娠継続が可能か否か、、寄り添う医師もおらず不安の日々。夜間に襲う腹痛と恐怖。でも生き続ける命のたくましさ。コントロールの効かない、ただ耐える日々。

そして、出産の日。
暗い地中に潜り込んだような日々から解放されると思ったが、わずか600gで外に出た娘はあらゆる手段で生きるための処置を施されていた。呼吸器、酸素吸入、輸血、血液製剤エトセトラエトセトラ。何度医師説明を受け、書類にサインしたことか。生きられるのか、どう生きられるのか先が見えない日々。

そんな時の3.11東日本大震災。
発生時に家族がばらばらだったこと。翌日のじわりじわりと流通が滞っていく東京。原発の爆発は近所の地方銀行のテレビで。

今も忘れられない、どろりとした記憶ばかり。
でも、津波に生活が流される映像を何度もみたとき、私は、冷静になったのだ。
娘は生きているから大丈夫だと。まだまだ私は大丈夫だと。
目をひらけ、心を閉ざすな、しっかり前を向けと問いかけられているような。
地震の翌日に、娘は抜管をトライしたが上手くいかず、病院に行くと主治医から「やっぱり苦しくなっちゃって」と報告を受けた。呼吸器に繋がれたままの娘、病棟には入れずじっと待つ息子。いつくるか分からない余震。
忘れもしない風景。生きることしか考えていなかった時間。
その後、娘は気管切開で生きていく方法を選ぶ。退院後もいろんな事はあったけど、そんな娘はなんとまあ、パワーあふれる命の塊だった。酸素吸入の影響か、難聴というハンディも背負う事になったけど。

ああ、可哀想に。

と思うわけがない。
たいしたものだ、命って。
そして、生きているということは、なんて奇跡。

少しのことがずれただけで、
この世に生まれてこなかったかもしれないよ。
生きていなかったかもしれない。

一人一人がそうなんだと。

娘がいるから気づくことが増えた。
見えなかったものが見えてきた。
厳しいことも、面白いことも。
初めて保育器に入って管に繋がれている姿を見た時に、なんてことをしてしまったのか…と全身の血がひいた。すぐに看護師から「母乳を口にしましたよ。」と穏やかに声をかけられた。そのたった一言で全身が熱くなったこととかも。

そんな日々にアートはいつも寄り添って、
私をどんどんタフにさせた。
タフになる…強靭になるのではなく、弾力性のあるものに。

〈自分だからできること〉

私は母親で、女性で、人間である。

子どもを出産して命の不思議さを知り、娘を育てることで「障害者」と簡単にくくれない人たちがいることに気づいた。まず、気管切開児は行き場がない。体は健康で元気でも、喉に入ったカニューレにより医療行為が発生するとみなされ、看護師か親の付き添いが必要になる。そんな話を聞いて、受け入れる場は少ない。
そして中等度難聴はさらに厄介だ。聾者の中では聞こえる人、健聴者の中では聞こえない人。聞こえると勘違いもされる。でも、事実、言葉の発信元が分からなかったり、言葉を覚えるのが苦手だったり。視覚情報が有益だったり。グレーゾーンに立つ娘は社会的に居場所がない。私はそれをみてきたし、思い知らされもした。
そして聞こえないことをイメージして伝えたり、聞こえる人が難聴の何が分からないかイメージしたり、、、一人では知る由もなかったことばかり。

アート活動においては、ボランティアとしてアートプロジェクトに参加してきた。「プロ」ではない私は、アートの言葉でアートを語るのも分かる。でも、アートはねぇ…と尻込みする人の気持ちもわかる。でも、アートは面白いよ、おいでよと腕をつかんで引っ張りたい。そんな気持ちを少し抑えることもわきまえている。

私は出入り口となる場所に立っていられるのではないか。グレーな空間で繋ぎ役になる。
どちらにも転ばないように、バランスを崩さず、立ち続けること。

〈忘れていたことを忘れていた、、それがヒント〉

ふらりと寄ったアート展で壁に書いてあったインストラクション。
「苦手な色の紙を切って…」
こんな単純な質問の答えに、答えられない自分。悩む自分。ああ、私って嫌いな色がなくなっている?

それとも何も考えてなかった?子どもの好みならすぐ言えるのに!
自分のことを忘れているではないか!
帰り道、どうだったかなぁと色々考える。
こんなチクチクする刺激は、家に帰ると心を彩り、瑣末なことが丁寧になっていく。
心のゆらぎが、明日につながっていく。

そんなキラメキを誰かと共有したい。
視点を変えると見えてくるもの、
他者との関わりで発見すること
しかけがあることで、動き出すもの
しなかった部分に気づくこと。

自分自身のことを忘れていたことを忘れていた人たちと一時停止する場。

〈誰とでもできること、誰にもあること、平等であるもの〉

丁寧に自分のことを考えて他者と共有することで、生への意識や肯定感を感じる場をつくる。

それがWSで作り出したいもの。

さて、もう一つ譲れない、叶えたい条件。
「誰とでもできること」
さえぎった場をつくりたいわけではない。困難をエッセンスに変えたい。小さい人の奇想天外なアイデアも盗みたい。大きな人の蘊蓄だって聞きたいし。宗教観の違いだって飛び越えたい。ぐちゃぐちゃなものから紡ぎだされた色は何色になるのか見てみたい。

では、誰とでも、誰にでも、平等でもっているものは何だろう?
…命、時間、こころ・・・そして名前。
そう、名前は誰でも持っている。
人生のファーストプレゼント。
心を込めた贈り物。
受け取っただけなのに、時の経過で自分を縛る鎖となる。

無意識で使っているもの。
人生を揺るがしかねない大きなもの。

これを頼りにactionを形づくることにする。

〈WSを組み立てる〉

「名をすてる、そして名づける」
誰もが持っている名前。体に巻き付いた鎖。愛のしるし。
違和感なく身にまとっていたのなら、あえて一度捨ててみようか。
そして場に集まった者たちで、その人の人生を左右しかねない「名前」をじっくり考える。交わるはずのなかった者同士が、少しだけ他人の人生に寄り添う時間を作る。

手始めに、私は長年付き合いのある友人に尋ねる。
「名前の由来って何なの?」
SNSに書き込まれたメッセージは一気に膨れ上がる。
親の愛をストレートに感じたり、親の欲望が織り込まれた名前だったり、はたまた親の愛へ疑いの眼差しが含まれていたり。

彼らの生き方や佇まいが理解できるようなエピソードに触れることができた。

〈リライトコミッティで投げてみる〉

次はリライトコミッティにて。
「Q,名前にまつわることで、自分を語れる質問はなんですか?」

メンバーからの貴重な質問が集まった。

・あなたの名前の漢字と自分の人生は関係していると思いますか?

・誰かに自分の名前を送ったとしたら、その人にどんな人になってほしいですか?

・絶対にこの名前じゃなければ駄目でしょうか?

・知人、友人の名前で「うらやましい」と思った名前はありますか?どんな名前でしたか?

・苗字ではなく、名前で呼んでいる人の話をしてください。

・自分の名前が嫌いだと思ったことがあれば、内容とともに教えてください。

・名前の持つ影響力を感じますか?

などなど。卓上で「ええ・・・!」と思いもよらない質問に苦笑。メンバーが投げてくれた質問に自分の回答を見つけておこう。
アクションの日が私にとっても、コミッティメンバーにとっても、参加者にとっても心が揺らぐような時間になるように、準備をすすめる。